『テロルの真犯人』を今ごろ読む

いきなりで申し訳ないが、わたしは自民党の加藤紘一さんが好きだ。いきなりで申し訳ないと言ってしまったが、いきなり言う以外に事前に伝える方法があったら是非教えてほしいものだ。


いきなり逆切れするのが最近のブログのトレンドらしい。よく知らないけど。


さて、加藤紘一さんだ。まずあのルックスが好きだ。男前なのか醜男なのか一言で割り切ることができないあの微妙な感じがたまらない。また、あの体格も魅力的だ。大柄なのか小柄なのか実際に会ってみないと想像がすらつかないというスリリングさを備えている。外交姿勢が弱腰だと批判されることが多いが、わたしはあれくらいがちょうどいいと思っている。いつの時代でも「偉そうな弱腰」というのが日本の基本線だ。


その加藤紘一さんの2006年の著作『テロルの真犯人』を読んだ。



2006年といえばわずか5年前のことだがなんだか遠い昔のような気がする。当時の首相は小泉さん。小泉さんといってもキョンキョンではないよ。小泉純一郎という人だ。この年の8月15日に小泉さんは靖国神社を公式に参拝する。繰り返しになるが、キョンキョンじゃないよ。


小泉さんが靖国神社公式参拝したのと同じ日、つまり2006年8月15日、山形県鶴岡市加藤紘一さんの自宅兼事務所が放火され全焼するという事件が起きている。覚えていらっしゃるだろうか。


放火を実行したのは当時65歳の右翼団体幹部。犯人は文藝春秋誌上での加藤紘一さんと上坂冬子さんとの対談を読んでこうした「テロル」を起こすことを決意したという。加藤さんが首相の靖国神社への公式参拝に対して批判的な発言をしており、それが犯行の直接的な引き金になったようである。


このような言論に対する暴力行為に決して屈してはならないという思いが加藤さんにこの『テロルの真犯人』を執筆させたのであろう。自らの発言によって、自らの命だけでなく、家族の命までも危険にさらされるという状況は本当に想像を絶するものがある。本書の中で加藤さんも次のように書いている:

 命が惜しくない人間はいない。発言したもの、行動をしたものが、こうした手法で脅かされれば、いつか発言するものはいなくなる。
 私は、この種の事件に対抗するには社会全体が大きな声をあげるほかはないと考える。卑劣な手法を激しく批判し、たとえ自分と思想信条の違う人間であっても、「狙われた」ものを社会全体が守ろうという姿勢を示さないと、この種の事件は止むことがない。


さて、こうした事態に怒りを示しつつ、犯人に対しては次のように温情を示しているところが加藤さんらしい。

p. 28
 彼が元気になったら、なぜ私の家に火をつけて、自殺しようと思ったのか一度会って話を聞いてみたい。
 私には、彼もまた、この時代が生んだ犠牲者だと思えてならないのだ。彼にも、もっといい人生、もっといい老後を歩めるようにするのが、私たち政治家の仕事でもあると思う。


皮肉でも何でもなく立派な態度であると思う。わたしは冗談でも何でもなくこういう加藤さんのような人物に首相になってほしいと願っている。加藤さんといえば、いわゆるか「加藤の乱」によって政治的には死んだことにされているが、わたしのような加藤フリークから言わせてもらえば、あのようなちょっとピント外れの感じも彼の魅力のひとつだ。


例えば、本書のタイトルである『テロルの真犯人』。このタイトルを見せられると、私のような下世話な人間はすぐに「すわっ、実行犯を操っていた黒幕の存在が明らかにされるのか!」と思ってしまうのだが、この本はそういう本ではない。加藤さんがなにを「真犯人」と考えているかはネタバレになるのでここではかかない。だが、これだけは言っておくと、具体的な真犯人が明かされるなど衝撃の事実が明らかになっているわけではない。だがそれでいいのだ。加藤さんはそれでいい。



今一つピント外れ感が漂う例を本書から挙げておこう。この放火事件が起きた際、産経新聞が「いかなる理由があるにせよ、民主主義社会ではテロは絶対に許されない。」と社説に書き、このテロ行為を批判したのだが、それに対する加藤さんの反応は次のようなものだ。

p. 30
 ご存じのように『産経新聞』は小泉首相の靖国参拝を支持している唯一の全国紙である。
 その『産経』が、私に対するテロをきわめて痛烈に批判してくれた。これは、言論機関としてもとても頼もしい、と私には感じられた。言論機関として、批判すべきは堂々と批判する、という背骨の通った態度であった。


こういう態度も大変立派なものなのだが、小市民の私などはあの産経をここまで持ち上げなくてもいいのではないかとも思ってしまう。小泉さんなんかだと、こういう場合でも『敵』に賛辞をおくるというようなことはしないだろう。だが、加藤さんはこれでいいのだ。ちなみに小泉さんと加藤さんが出てくるけど、キョンキョンと加藤ミリヤさんの話をしているのではないよ。


さらにいうと本書の構成も微妙だ。まず第一章は『あの日』と題されて、事件当日から直後の動きについてまとめられている。ここは問題ない。そして第二章。『私はなにを発言してきたか』と題されている。この事件の引き金が加藤さんと上坂さんの対談での加藤さんの発言と言われているわけなのでここも問題ないだろう。


だが、続く第三章『戦争の記憶』あたりから雲行きが怪しくなってくる。放火事件が靖国神社の参拝についての加藤さんの発言と関係しているという意味では、先の大戦が大きく関わっていると言われればその通りなのだろう。しかし、文章を読み進めると、東大在学時の安保闘争の際の思い出話が出てくるなど、冗長な感じは否めない。


そしてこれは第四章『私の中国体験』にもあてはまる。ここでは加藤さんが外務省の中国担当として中国と関わってきた体験が語られている。またその立場から日中関係の重要性が強調されている。それはいい。この事件の背景にはこれまでの日中関係をふまえて、今後の日中関係をどう考えていくかという立場の違いがある以上、自らの日中関係についての見解を述べるのはありだろう。


しかし、しかしである。第四章の中には、東大在学時に起きた安保闘争後に、加藤青年が虚脱状態に陥り、大学卒業後の進路に迷い、なぜか和歌山のみかん農家で住み込みのバイトをしたという思い出話まで出てくる。加藤フリークの私ですら「そこまで遡るか!そこまで遡るか!」と二度突っ込んでしまった。


そして第五章『言葉に生き、言葉に死んだ政治家たちの語録』となる。どういう内容か。

p. 136
 政治家の言葉とは、どうあるべきなのかー以下に私の聞いた大物政治家たちの印象的な一言を、まとめてみた。


ここに至るともうテロとかぜんぜん関係ないし。わたしが担当編集者だったとしたら、「加藤先生、ここのあたりはやや本筋から外れますのでばっさり削った方がよいかと思いますが」と説得を試みると思う。しかし、加藤さんのあの優しい口調で反論されると、なし崩しになってしまうのではないかとも想像した。つまりこの脱線ぶりも加藤さんの魅力を示す証拠となっているのだ。そして何事もなかったかのように、第六章『「時代の空気」』、第七章『さまざまなナショナリズム』、エピローグ『真犯人』と、本筋へ戻っていく。さすがの一言である。


さらに驚くべきことに、第四章や第五章の内容は本筋から脱線する部分が多々あるものの、そこが非常におもしろいのだ。例えば第四章ではいわゆるニクソンショックにまつわるエピソードが紹介されている。1971年7月にニクソンが記者会見を行い、翌年の訪中を発表し世界中を驚かせた。そしてその前段階として、当時大統領補佐官であったキッシンジャーが東京経由でパキスタンに渡り、極秘に北京入りしてニクソンの電撃訪中を決めていた。本書ではその際の日本の外務省の対応が紹介されているのだが涙なしでは読むことはできない。

 あとになって外務省は、在日アメリカ大使館とアメリカ国務省に、「キッシンジャーが東京に寄ったとき、どうして本来の旅の目的を話してくれなかったのか」という質問状を提出した。


さてアメリカからの回答がどのようなものであったかは直接本書に当たっていただきたい。その他にも、1960年代後半の香港総領事館勤務の際の中国残留孤児引き上げにまつわるエピソードや、2001年に台湾を訪問した際の李登輝元総裁との会談の様子など、興味深い話が数多く出てくる。


いわゆる「加藤の乱」によって政治的には死んだというのが定説になっている加藤氏だが、イエス・キリストが復活できたのに、加藤紘一が復活できないというようなことがあろうか。いやない。しかし、どうも加藤氏は地道な活動を通して失墜した信頼を回復した後に復活を遂げたいと考えている節があるが、それは間違いだ。キリストは人々の支持によって復活したのではなく、復活したから支持されたのだ。


つまり、なんだかよくわけの分からない方法で首相に選出されることが先決なのであって地道に支持を集めていては時間だけが過ぎてしまう。だから、なんだかよく分からない方法で首相になる方法というのは政治の素人の私にはとても思いつかないので、その部分だけは皆さんの力で考えてほしい。