読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

フィンランドの教育と政治参加

フィンランドはもう「学力」の先を行っている』という本を読んだ。


本書はフィンランドの教育制度と、著者がフィンランド現地で見学した教育の実践例をまとめたものだ。日本とのあまりの違いにびっくりしてしまったわけだが、全体を通読して痛感したのは、学校教育が人生、仕事、社会と切り離されることなく互いに補いながら一体のものとして機能しているということだ。文章にすると教育ってそういうものでしょというようにも思えちゃうかもしれないので、ひとつ例を挙げみる。本書の第二章はフィンランドの小学校教育がテーマになっているのだが、そこで出てくる「政治参加」の一例に衝撃を受けた。本書の著者がストロンベリ小学校というフィンランドの小学校を訪ねた際に校長先生の口から語られた事例である。以下に該当部分を引用する。

たとえば、ある公園に遊具がほしいということを子どもたちが考えつくと、クラスで決め、学校の生徒会に持ち込んで提案として作り直し、毎年5月には市議会の議場を借りて市内生徒会大会があり各校の提案を審議する。そこで決まれば実現する。子どもたちは、大人と同じ社会のプロセスを踏むことで、民主主義の仕組みを学んでいくのだ。これが、子ども参加ということなのだと、校長は説明していた。


少し補足すると、この小学校はフレネ教育の実践を目指して設立されており、そういう意味では、必ずしもフィンランドの教育の典型例を示すものではないのかもしれない。しかし、引用文中に「市内生徒会大会」とあるので、程度の差こそあれ他の小学校でも類似のプロセスを踏ませているのだろうと思われる。シェー、スゴイな、小学生のときからここまでやるんだと感心してしまった。


本書を読んだ後、日本の学習指導要綱にもざっと目を通してみたのだが、実は日本の学習指導要綱でも、政治参加の重要性について理解させるという主旨の記述が存在する(中学の社会の学習指導要綱には「政治参加」という単語が9回も出てくる)。そして日本でも「議会制民主主義の仕組み」とかはもちろん習うわけだが、それが実際の政治との関わりにつながっていないのが現状であろう。「政治参加」というのは本書のメインテーマでは必ずしもないのだが、本書では、フィンランドの教育の特徴を「コンピテンス・ベースの教育」であると謳っている。これは学校内で閉じた知識の習得ではなく、実社会で実践可能な知識・技能の習得を重視する教育というようなことであろう。そう考えると、先に引用した小学生の「政治参加」の例は、「コンピテンス・ベースの教育」を象徴していると言えるのかもしれない。もちろん民主主義の理念や仕組みを学ぶことが無意味だとは言わないが、実際に参加してなんぼの世界だよと教えこむためには、日本も少なくともこうした点については積極的にフィンランドの取り組みを真似して取り入れていくべきなのではと思う。


今回は偏った紹介になってしまったが、本書の目次は以下のとおり。
第1章 グローバル競争のなかの教育制度
第2章 小学校から、もの作りの授業
第3章 中学校のもの作り
第4章 専門学校の取り組み
第5章 専門学校OMNIAの取り組み
第6章 専門職大学(AMK)
第7章 普通科高校から総合大学へ
第8章 フィンランドの職業教育の歴史と展望


小学生から成人の教育までひととおり網羅してある。簡単な歴史的経緯も解説してある。一番感心したのは、フィンランドという国が教育制度をフル活用して、社会の網の目からこぼれ落ちていきそうな人たちを、あの手この手で繋ぎとめることに十分なコストをかけていることだった。統一テストの点数など目先の「学力」に拘って学校教育の良し悪しを判定し続けるならば、日本の地盤沈下は不可避であるように思えてならない。また個人的には「生涯教育」というものがなんなのかいまひとつピンとこないところがあったのだが、本書の第一章で、産業構造が急激に変化する現代社会の特性との関係で生涯教育が論じられていて、非常に勉強になった。本書の39ページには、大学の入学者に占める25才以上の人の割合の国際比較が提示されているが、その割合をみると日本の低さが際立っている。実際に働く経験から出てくる興味や関心に基いてもう一度学校に戻って学び直し、そこで獲得した技能や知識を働く場で活かすというサイクルの構築という面でも日本が立ち遅れていることが示唆される。本書を読んで、なんでもかんでもフィンランド最高と言うつもりはないのだが、自分の子供の教育のことで色々と迷っている真っ最中でもあり非常に刺激を受けた。

広告を非表示にする