「こころ」はどこで育つのか

『「こころ」はどこで育つのか 発達障害を考える』を読んだ。



本書は、批評誌『飢餓陣営』主宰の佐藤幹夫さんによる精神科医の滝川一廣さんへのインタビュー集の第三弾。第一弾が『「こころ」はどこで壊れるか』、第二弾が『「こころ」はだれが壊すのか』、そして第三弾が今回紹介する『「こころ」はどこで育つのか 発達障害を考える』である。


滝川一廣さんは本書の意図を「まえがき」で次のように述べている

一つは社会という空間的なつながりのなかで、もう一つは発達の道筋という時間的なつながりのなかで、「発達障害」をはじめ、子どもたちの「こころ」が育まれてゆく姿をとらえることを試みた。


加えて、発達と性の問題を取り上げているのが本書のもう一つの特徴だろう。これは第四章で中心的に論じられている。個人的にはこの章が最もショッキングだったので先にこの章に触れようと思う。この章ではいくつかの「事件」が取り上げられている。


ひとつは「浅草事件」と呼ばれるもので2001年浅草の路上で女子短大生が刺殺された事件である。犯人がレッサーパンダのぬいぐるみの帽子を被っていたことなどもあり当時非常に話題になった。犯人に発達の遅れが認められたため(本書では自閉症とされている)、責任能力を巡って弁護側と検察が対立したが、最終的に無期懲役の判決が下された。本書によると、この事件では「性」という問題が重要な論点のひとつになっていたというが、ご存知だっただろうか。まず、検察側は動機を「強制わいせつが目的」だったと主張したが、本人は最後までそれを否認している。この動機をめぐる攻防の過程で、自閉症の人の性を巡って議論になったという(例えば、自閉症の人は、性交したいというような生々しい性欲を持つのかなど)。これらについては、本書に詳しく書かれているし、自閉症の人の性について滝川さんによる解説もある。


もう一つは「寝屋川事件」と呼ばれるもので、2005年に起きている。当時17歳の少年が自分が卒業した小学校に元担任を訪ねて来校し、対応に出た初対面の男性教師を背後から包丁で刺すという、これもショッキングな殺人事件であった。少年は逮捕後に精神鑑定を受け、広汎性発達障害と診断される、最終的に懲役15年の判決が下される。本書によると、この事件でも「性」の問題が出てくるという。この少年はある女性に恋心を抱き何度か交際を申し込むのだが交際を断られている。この恋をあきらめるという意味だったのか、少年はこの女性のメールアドレスや写真を自分のパソコンから削除する。これが事件の二日前の二月十二日。事件はバレンタインデーの日に起きている。


念のために言っておくと、著者らは、失恋で自暴自棄になったことが直接的な原因となったというような単純な解釈をしているわけではない。この事件についてのお二人の著者の解釈の当否を言い当てることは私などにはできないが、ぐっと考えさせられる内容になっているので是非直接本書に当たってみていただきたい。とにかく、二つの事件ともに、ちょっとした巡り合わせがあれば、二人の犠牲を止めることができたのではないかと思うと非常に切なくてならない。


長くなってしまうが、この章では、東京都日野市の養護学校での性教育をめぐって裁判にまで発展した「‪七生養護学校事件‬」も取り上げられている(本書では「七尾」と表記されているが誤植と思われる)。これも当時は非常に話題になったので覚えておられる方も多いのではないだろうか。都立七生養護学校で行われいた性教育に対して一部の都議会議員が不適切であると断じて抗議をして、教育委員会が校長を降格させるなどした事件である(元校長は処分の不当性を主張し裁判となり処分取り消しの判決が確定している。また、元教員および生徒の保護者は、都教委・都議3名・産経新聞社に対して精神的苦痛を受けたとして訴訟をおこし、都議三名と都教育委員会に210万円の支払いを命じる判決が下されている)。この事件についてはネットでもたくさんの情報が載せられているので、本書とあわせて参照していただきたいが、個人的には本書の中での滝川さんの次のような指摘にはっとさせられるような思いだった。

七尾福祉園は定員三○◯人規模の大変に大きな入所施設で、そのうちの約一五〇名、入所者の半数が子どもでした。一五〇名もの発達障害をもつ子どもたちが、家庭ではなく、郊外におかれた大規模な施設で集団生活をしている。これはいったいどういうことか。なぜこのような状況が東京都で生み出されているのか。都の議員なら、まずそこを追求しなければなならないのに。


第四章ではこうしたトピックについてその背景が簡潔に解説されていると同時に、章の後半は滝川さんによるフロイトの発達論のミニ講義のようになっていて非常に勉強になる。



順不同になるが、第三章では、アンナ・フロイト、ハーロウ、ボウルヴィらの研究の紹介も含めて、こどもと養育者との関係がこどもの精神形成に及ぼす影響について簡潔にまとめられていて、この章も非常に勉強になった(というか、もっと勉強してみたくなった)。またこの第三章では、こどもの精神発達の阻害要因としてチャイルド・アビューズ(虐待)の影響について触れられている。虐待との絡みで、「しつけ」が子どもの精神形成に及ぼす影響が述べられていて非常に面白かった。詳細は本書に譲るが、結論だけ言うと、しつけは子どもが「意志」の力を培うのに不可欠であり、その意味で単に社会規範を知るということに留まらず、精神発達上も極めて重要であるというのが滝川さんの主張である。しつけを名目にしたアビューズについて報道等で耳にすることが増えた気がするが、本書での議論でしつけとアビューズの本質的な違いを理解することができる。キーワードだけ抜き出すとすれば「能動性vs受動性」あるいは「自律vs他律」であろうか。親としては育児の際の指針にもなる。


新書のボリュームでなおかつインタビュー形式であるので一気に読める。その本を読むとさらに知りたいという意欲が湧いてくる本を良書とするならば、この本は間違いなく良書であると思う。