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皇后陛下、PCR開発者を撃墜するの巻/『がん遺伝子の発見』読んだ

『がん遺伝子の発見 がん解明の同時代史』という本を読んだ。


この本の中で、美智子皇后PCR開発者のロックなエピソードが紹介されていたのでまずその話から。


PCR法というのは、すごく良く知っている人はすごく良く知っているし、ちょっと知っている人はちょっとだけ知っているし、知らない人は全然知らない技術でしょう。とにかく、ごく微量なサンプルから簡単にじゃんじゃん遺伝子を増やせるという、ネズミ講の遺伝子版みたいな感じで、その筋の人達にとってはウハウハなわけです。


(どういう感じのブログなのか知ってもらいたくて、全然情報量のない段落をひとつ作ってみました↑)


今回読んだ『がん遺伝子の発見 』という本によると、このPCR法は、キャリー・マリスさんという技術者によって開発されたそうです。このマリスさん、1983年のある金曜日の夜、ジェニファーというガールフレンドを乗せて月明かりの夜道をドライブしている時に、PCR法の原理を突然閃いたそうです。車もない、彼女もいない、ましてやPCRなど開発したことがない人にとってみればこれだけでイライラする話ではないでしょうか。それはさておき、このマリスさんは、1992年に日本国際賞を受賞しています。その受賞式後のパーティーで、先ほどのガールフレンドとのドライブのエピソードが紹介されたというのです。さて、そのエピソードを耳にしたのが美智子皇后。皇后陛下はマリスさんに向かって「今日一緒に来られている方がその方ですね」と尋ねたというのです。し、しかし、それに対して生まれながらの正直者のマリスさんは「いや、金の斧でも、銀の斧でもありません」と答えたという。そんなわけない。マリスさんは「いや、今日一緒に来ているのは別の人です」と答えたという。ガーン( ̄◇ ̄;)、凍りつく周囲の人々(←周囲の人たちが凍り付いたかどうかは私の勝手な想像です)。ところが、皇后陛下はまったく怯まずに(←怯まなかったというのは私の勝手な想像です)すかさずこう言ったという。

それではもう一つ大発見が出来ますね

美智子皇后、ノリノリでござるなニンニン。


さて、こんなエピソードから始めてしまったので、『がん遺伝子の発見 がん解明の同時代史』という本は、皇后陛下のロックンロールな気質を描いたものと思われたかもしれないが、それはまったくの誤解だ。それだと皇室アルバム案件になってしまう。この本は、こうしたおもしろエピソードも交えながら、がん遺伝子の発見レースを描き出すかたちで、がんとは一体何者なのかを遺伝子レベルで平易に解説してくれているものだ。


個人的には、親を癌でなくしているし、大学の一般教養の生物でがんについての授業も受けた記憶はあるのだが、恥ずかしながら、とにかくガンといえばなんかもうガガガガガーッと増えまくって、なんかもうワワワワーッて言ってる間に身体が無茶苦茶になるっていうイメージしか残っていなかった。この本を読んでみて、ヘーっと感心することが山ほどあった。大学の授業の前にこの本を読んでおけばよかったとも思った。とにかく解説がことごとく分かりやすいし、とにかく内容が面白い。


まず、物語はニワトリのがんの話から始まる。あのろくでなしで有名な野口英世もいたロックフェラー研究所にフランシス・ペイトン・ラウスさんという研究者がいた。彼はニワトリのがん組織をすりつぶした液を正常のニワトリに注射すると、そこからがんが発生することを明らかにした。しかも、すりつぶした液を素焼きの瀬戸物でろ過してもがんが発生するので、素焼きの瀬戸物をすり抜ける極小サイズのなんらかの物体が、がん発生に関与していることを示唆したわけである。結局、これがラウス肉腫ウイルスであることが後に明らかになるのだが、ラウスさんの実験が行われたのは1911年のこと。ウイルスが生きものなのか、単なる分子なのかも分かっていないし、遺伝子の正体も分かっていない時代である。よってこの重要な研究も当時は大きな注目を浴びなかったという。


ところで、このラウス肉腫ウイルスは、遺伝情報としてDNAではなくRNAを持つRNA型ウイルスであることが後に明らかになるのだが、1960年代になるとDNA型のがんウイルスというのも次々と発見されるようになる。そして、がんウイルスの研究ではDNAウイルスが脚光をあびる優になる、じゃなくて脚光を浴びるようになる。なぜなら、当時は遺伝情報はDNA→RNA→タンパクという方向に流れるというセントラル・ドグマがウェイウェイと幅をきかせている時代である。DNA型のがんウイルスが細胞のDNAに潜り込んでがんを発生させるというのは、セントラル・ドグマ的には極めて理解しやすい。ドグマドグマワッハッハというようなイメージだ。一方、RNAウイルスの場合、それが一体どうやって細胞DNAに潜り込んだりするんだい、など難しく考え出すと結局全てが嫌になってそっとそっと逃げ出したくなるMr.Childrenのような状態になって敬遠されてしまっていた。ところがここで少数の変態たちがセントラル・ドグマに背くという暴挙に出たことでRNA型ウイルスがにわかに脚光をあびる優になる。これがあの逆転写酵素の発見につながるのだ。リバース・トランスクリプテースだ。なんとなくカッコいい。これが1970年のこと。本書ではこうした発見をもたらした研究の結果だけではなく、当時の研究者の試行錯誤なども分かりやすく解説してあって面白い。


ちなみに、個人的な話で恐縮だが、私は「リバース」という言葉で衝撃を受けたのは人生で三回しかない。ひとつはプロレス技のリバース・スープレックスで、「私はパイルドライバーを見たかったのに・・・」と残念に思った記憶がある。もう一つがこの逆転写酵素。そして三つめは、嘔吐することをリバースと表現する風習がわが国にあることを知ったときだ。



閑話休題。この逆転写酵素発見にまつわる研究者間の激しい競争についても生々しく語られていてそこも非常に興味深い(著者の黒木先生はこの1970年当時テミンのラボのひとつ上のフロアで研究をしていたという)。例えば、この逆転写酵素発見の論文は、二つの研究グループ(テミンさんとボルチモアさん)による独立の研究としてネイチャー誌の同じ号に掲載されているのだが、ボルチモアの研究グループの論文が出るという情報を得たテミンは急いで論文をまとめて投稿し、テミンの同僚がネイチャーの編集部に電話をして、ふたつのグループの論文を同時に載せるように働きかけたというのだ。一流の研究者サークルでは、ピザーラに注文するような感覚でネイチャーに電話をすると知って感銘を受けた。


こうした研究の積み重ねがあり、いよいよがん遺伝子の正体が明らかになるのだが、その過程は第二章で描かれる。ラウス肉腫ウイルスからもがんを引き起こすがん遺伝子が分離されサーク(src)と名付けられた。結局ラウス肉腫ウイルスは、逆転写酵素を作る遺伝子と、ウイルス粒子の構造を作る遺伝子2つ、それにがん遺伝子(サーク)の計4つの遺伝子を持つことが明らかになる。


さて、ここまででもう驚きの連続なのだが、なんとこの後、ラウス肉腫ウイルスが持っているサーク遺伝子と同じ配列が、ニワトリの正常の細胞にも存在することが明らかになる。しかも驚き桃の木おさつドキではないが、なんとニワトリだけではなく、ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんなサークと同じ配列を持っていることが明らかになったのだ。ウイルスも持っているし、正常細胞も持っている。これは一体どういうわけか? その答えも本書を読むとわかります。ビックリです。心臓の悪い方は絶対に読まないでください。嘘、読んでも大丈夫。多分。


このサーク遺伝子の発見は当然大きなインパクトをもたらすのだが、その一方で、がんの研究者たちの間には「所詮ニワトリのがんの話でしょ」みたいなやや冷ややかな空気もあったようだ。「カーネル・サンダースにでも教えてやれよプププ」みたいな空気だろうか。いや、そんな空気ではないと思う。つまり、ニワトリでは確かにそうだったけれども、ヒトのがんの場合には、ニワトリのがんとはまったく別のストーリーがあると考えていたというわけだ。ヒトの場合にはがんを作るレトロウイルスが見つかっていなかったこともそうした予測を後押ししていたようだ。しかし、事態はアルビン・トフラーでも予想だにしないような方向にビンビン進展する。アルビンビン・トフラー!といった感じだろうか。このヒトのがん遺伝子の発見をめぐる物語は本書の第二章後半で描かれている。同じがん遺伝子を分離する作業と言っても、ウイルスとヒトではゲノムサイズが桁違いなので、ヒトのゲノムの中からがん遺伝子を分離するのはとてつもなく大変だという。皆さんもはてなハイクのユーザーから特定の人物を探し出す作業と、ツイッターのユーザーから特定の人物を探し出す作業のどちらが大変か想像してみられると良いのではないだろうか。大丈夫、本書ではちゃんとわかりやすい例えが用意されているので心配無用だ。ここで描かれる「がん遺伝子ハンター」間の熾烈な争いもまた極めてドラマチックである。


さて、先ほどから正常細胞にもがん遺伝子が存在するということを言い続けているが、これはどういうことだろうか。これはつまりがん遺伝子というのは普段は人柄というか遺伝子柄も良く、仕事もキチンとこなすちょっと小粋なビジネスパーソンなのだが、お酒が入ると豹変し触るものみな傷つけるギザギザハートの子守唄的な存在というわけだ。どういうわけだ。ここで意味がわからなくても本書の第三章と第四章には、がん遺伝子が普段はどういう役割を果たしていて、それがどう変化すると凶暴ながん細胞としての性質を獲得するようになるかが解説してある。


そして第五章と第六章ではがん抑制遺伝子なるものが登場する。がん遺伝子がアクセルだとすると、この癌抑制遺伝子はブレーキ役ということになる。


そして第七章では、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の黒幕とも言える存在が明らかにされる。とりあえず黒幕はアメリカの軍産複合体でもなければフリーメイソンでもないことはここで明言しておく。


第八章と九章では、ヒトのがんウイルスの遺伝子についてまとめられていて、第十章では今後のがんの治療についての話などが出てくる。

なんだか前半に比べて後半の紹介に熱が入っていない印象を持たれた方もおられるかもしれないが、それはもちろんネタバレを恐れたからであり、ちょっと気合を入れすぎて疲れたからとかそういうネガティブな理由ではないということは強調しておきたい。後半も充分に面白いことを保証します。


出版年をみると1996年となっているので、当然ながら、近年よく耳にする「エピジェネティック男子」とか「メチル化女子」とかそういう話題は含まれていない。しかし、例えば初めて分子生物学の授業を受ける高校生とか大学生、がんについておおよその見取り図を知りたいという私のような一般の人間の「ゼロ時間目のテキスト」としては最高に優れているのではないかと思う。





長くなってしまったが、私がこの本を読んでみて、その解説の巧みさにももちろん魅力を感じたのだが、個人的にもの凄く好きになってしまったのは、著者の黒木先生がちょいちょい挿んでくる独特の無駄過ぎるつぶやきに撃ち抜かれてしまったためでもある。最後にそのニヤニヤ系をいくつかご紹介して終わろうと思う。


対立遺伝子を説明するところ(p. 112)

酵母よりも高等な生物はすべて遺伝子をペアでもっている。(中略)このペアを対立遺伝子というが、別に父親と母親が対立しているからではない。

分かっとるわ!


モニカさんというとある研究者を紹介するくだり(p. 135)

モニカは名前(Monica Hollstein)から想像できないような、ほっとりとした清楚な美人である。

ホルスタインだけに。知らんがな。


ミスマッチ修復遺伝子の変異について語るくだり

DNAを複製している最中、GとC、AとT、というマッチングにミスが起こったとしよう。そのようなミスマッチを放置しておくと(中略)点突然変異の原因となる。それががん遺伝子、がん抑制遺伝子に起これば、がんにつながりかねない。ミスマッチのまま結婚してしまっても修復できないわけではないが、面倒くさくなり、妥協してしまう。根本的に直そうとすると、さらに大きな痛手を被ることもある。ミスマッチは早めに取り除かねばならない点では何事も同じである。

家庭では妥協されているようだ。