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「調べる」ことを調べたインタビュー本を読んだ


『「調べる」論 しつこさで壁を破った20人』を読んだ。



著者の木村俊介さんのプロフィールには「インタビュアー」とあるように、インタビューという形式で「調べる」ということについて掘り下げている。著者自身の言葉を借りると「今回は「調べる」ことについて取材で「調べる」構造」をとったということになる。この本の「はじめに」で次のように述べられている。

 調べることには、各分野ならではの可能性もあるけれど、その可能性を知るまでには、長い期間をかけて特定の調査の世界に潜り込み、いわば特殊な業界の不文律に頭や体を改造されるほどに実践や訓練を経なければならないという面もあるのではないのだろうか。
 一人の人間に残された時間は限られている。たくさんの種類の調査の「けもの道」のようなものがあっていいのだけれど、一人ではそのいくつかの道を究めることしかできない。だから、調べる人は、他の分野の方法論についてはあまりわからないところもあるわけだ。そこに、いろいろな分野の経験談を聞いて伝える、この企画の意義もあるように思われる。


この引用部分を読んで面白そうだなと思って読み進めた。読んでみて確かに面白かった。副題が「しつこさで壁を破った20人」なのだが、超メジャーな人は一握り(*自分調べ)で、「この人たまに名前を見かけるけどどんな人なんだろう」と思わせる味わい深い人選なので、それぞれの波瀾万丈に初めて触れて「へー」と思う箇所が多数あった。同じ分野の人の経験談を聞いて参考にしたり、他分野の人の経験談を聞いてインスパイアされる面も多いのではないかと思う。


目次は次のような感じで:

第一章調査取材で、一次資料にあたる
 鈴木智彦 フリーライター
 出井康博 ジャーナリスト
 栗原俊雄 毎日新聞学芸部記者
 加藤弘士 スポーツ報知プロ野球担当記者


第二章「世間の誤解」と「現実の状況」の隙間を埋める
 本田由紀 教育社会学者
 阿部 彩 貧困問題研究者
 本田美和子 内科医
 浅川芳裕 雑誌編集者


第三章膨大なデータや現実をどう解釈するか
 佐々木 融 為替ストラテジスト
 渡辺 靖 文化人類学
 佐藤克文 海洋生物学者
 中田 亨 ヒューマンエラー研究者


第四章新しいサービスや市場を開拓する
 宮川淳一 航空機開発者
 淵邊善彦 弁護士
 高木慶子 悲嘆ケアワーカー
 北村明子 演劇プロデューサー


第五章自分自身の可能性を調べて発見する
 野村萬斎 狂言師
 国広 正 弁護士
 萱野稔人 哲学者
 田島 隆・東風孝広 漫画家


終章インタビューを使って「調べる」ということ


というわけで面白かったのでぜひ読んでみてくださいで終わりでもいいのだが、読んで面白かっただけにもう少し突っ込んだ感想も付け加えておこうかと思う。


最初に述べたように、この本は「調べる」ということを調べたもので、その着眼は凄く面白いと思うし、「他の分野の方法論についてはあまりわからないところもある」というのはなるほどそうだよなと思う。ただ、著者の用いるインタビューという形式によって「いろいろな分野の経験談を聞いて伝える」ことで、それぞれの分野の「けもの道」の構造がどの程度明らかになるのだろうかという点は少し気になった。


実は最初に引用した「はじめに」で著者は次のようにも述べている:

調べるとは、問いから新しい現実を発見しようとする姿勢のことではないか。


この部分を勝手に解釈すると「調べる」というのは、これまで「問題」だとは思われていなかった現象を「問題」として捉え直すという面があるのだろう。各分野で活躍している人というのは問題の大小はあるにしても、そうした「問題化」に成功してきた人達なのだと思う。ではなぜ他の人にはできずに、その人が「新しい現実を発見」することができたのか、という点にもう少し力点が置かれても良かったようにも思う。新書のボリュームで20人の経験談がおさめられているのでひとりあたりの分量は少ない。そのおかげで読みやすくなっているのも確かだが、各分野の「けもの道」を記述するには一人あたりの分量が少なすぎる(と少なくとも私には思えた)。もちろん、各々の人が直面した困難とその困難をいかにして解決したのかという点が本人の口から語られてはいる。ただ、インタビューを読み進めていると、それぞれの人が「問題」を発見し、それを解決するまでのプロセスが、なんと言うかスムース過ぎるように思えてしまった。



それからインタビューという形式について。著者の木村さんは本書の終章で次のように述べる:

聞いた話の中から、確実な事実や情報を抽出するだけでなく、曖昧で形を持たず、そのつど入れ替わる「記憶」を残すのに、肉声はいい媒体だなと捉えるようになったのは、私が二〇歳だった頃、小説家の小島信夫氏にインタビューをした後からだと捉えている。


この取材の際に小島氏は次のように述べたという:

書いた文章は私の許可なしに、あなたが受けとったとおりに書いて下されば一番いいと思います。許可を得てまとめて、とやってしまうともっともらしくなってしまうからね。矛盾したりはみだしたり、あなたが誤解したならその誤解した部分も含めて出して欲しい


またこれに続く部分で、小島氏の「会話の中の一過性に留まらない曖昧な内容の広がりを大切にする」姿勢に影響を受けたとも語っている。確かにこうした部分にインタビューの面白さがあるというのは私も同感なのだが、こうした曖昧な部分を再現する際の紙媒体の優位性というのはどのあたりにあるのかなという点も少し考えたりもした。紙媒体を読んで抱いていた印象と、映像や音声から受ける印象というのは多くの場合かなり違っている。日本全体でみても文字で示されたインタビューだけから、実際にその人が語っている状況を読者が完全に再現できるのは矢沢永吉さんのインタビューくらいのものだ >