もしもウィリアム・モリスが電子書籍時代に生きていたら

蔵書を裁断して電子化する「自炊」についてのニュースや記事などを目にする機会が増えましたが、それでふと、寿岳文章さんの『モリス論集』を思い出したので読み直してみました。「画像はありません」という本を読んだわけではありません。


モリス論集 (ちゅうせき叢書)モリス論集 (ちゅうせき叢書)
寿岳 文章

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モリスというのは、森末慎二さんのニックネームのことかと思われる方が多いかもしれませんが、そうではなくてウィリアム・モリスのことです。ウィリアム・モリスは「モダンデザインの父」とも呼ばれてシャレオツな雑誌などに登場することも多いので、植物の模様の壁紙なんかを目にした方も多いのではないでしょうか (記憶にないという方は「ウィリアム・モリス」で画像検索してみてください)。


モリスは多方面で活躍した人でその全体像をここでかいつまんで話すことはとても私にはできませんが、モリスはその晩年に「ケルムスコットプレス」という印刷所(プライベートプレス)を設立して美しい書物を残しました。寿岳文章さんの『モリス論集』は、こうした「書物工芸家としてのモリス」を中心に論じられたものです。


モリスが印刷所をやっていたというのが最初はどうもピンとこなかったのですが、モリスが主導したとされるアーツ・アンド・クラフツ運動というものがいかなるものであったかを考えると、プライベート・プレスというのもその流れの中で理解することができそうです。何でも良く知っているWikipediaによると、アーツ・アンド・クラフツ運動によってモリスは次のような主張をしたということです:

ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張した。


ルネサンスは中世を否定して古代に範を求めたわけですが、アーツ・アンド・クラフツ運動は近代を否定して中世に範を求めたということでしょうか。近現代を否定してルネサンスに範を求める運動は存在しないのでしょうか。というような「本筋から脱線するような一言が挿まれるのがブログの醍醐味だ」的な主張を今後とも地味に続けていきたいと思っています、というような意思表示はここでは必要ないですね。


さて、プライベート・プレスです。『モリス論集』の中で著者の寿岳文章さんは、プライベート・プレスの明確な定義は非常に難しいと前置きしつつ、その特徴を次のように指摘している:

私版 [GuriGura注:私版はプライベートプレスの日本語訳] の発生はもちろん非商業主義(uncommercialism)に求められるのではあろうけれど、その著しい特長は何よりもまず「目だたぬこと」(privacy)の一点にあるのだと私は思う。片田舎のつつましい牧師が、信者たちに贈ろうとして、みずから印刷した質素な説教集。有名無名の出版者の知遇を得る機会もなく、作者自身がなけなしの金をはたいて刊行した処女作品。こうしたものにこそ、私版の最も濃厚な香気は漂っているのである。


また『モリス論集』の中でモリス自身が記した「ケルムスコット・プレス創立の趣意書」の一部が引用されていて、モリス自身のプライベートプレスに対する思いが語られている(孫引きで済みません):

私が書物の印刷を始めたのは、美への明確な要求を持つと同時に、読みやすくして眼をちらつかせず、またことさらに風変わりな字形によって読者の知力を乱すようなことのない書物を作るためである。(中略)印刷し排列したものとして活字を見た場合にひとつの喜びとなるような書物を作りだすことが、私の企ての要諦であった。この見地から私の企てを観察して、私はまず何よりも次の諸点に思いを致さねばならぬことを知った。即ち、用紙、活字の形、字と語と行を結ぶ相対的な間隔、そして最後に、頁の上に印刷される版面の位置。


これだけ読んでも、モリスが、書物を単に「思想の伝達手段」としてのみ捉えていなかったことは充分すぎるほど分かります。自著が「自炊」されてしまうのは耐えられないという作家の意見表明が昨年末あたりにあって話題になりましたが、もしモリスが生きていたならば、「自炊されてしまうような書物を作る方が悪い、もっと美しい本を出してみろ」と叱咤激励したかもしれません。


また脱線してしまいましたが、この『モリス論集』が面白いのは、著者の寿岳文章さんがモリスを礼賛して持ち上げてばかりいるという体裁ではなく、その理想を是としモリスの功績を讃えつつ、ケルムスコットプレスに対して建設的な批判を加えているという点にある。印象に残った一節を引用しておく:

しかしモリスが真に偉大な工芸家となるためには、家具の場合と同様に印刷に於いても、その夢を、その情熱を、その主観性を、そしてそのロマンティズムを、もっと謙虚な形に盛らねばならなかったのだと私は思う。彼が夢想家であったことは、大きな強みであると共に、また大きな弱みとなったのである。正しい工芸に於いては、「個」の力よりも「衆」の力が、「主観」よりも「伝統」が重んぜられねばならないのに、彼は自分の主観的な夢 ―それはそれ自身としてのすぐれた価値を持つものではあるが― を余りに烈しく工芸に強いた。(中略)長い訓練の結果である中世の筆写文字を、忠実に模倣して生まれた初期の排印がなぜ美しいか。モリスはそのことわりをもっと深く味得すべきであった。p. 16-7


寿岳さんの場合、こうした批判が実践につながっているという点がすごい。昭和初期に自らプライベートプレスを設立しているのだ。京都の西向日で営まれた向日庵というのがそれである。この『モリス論集』では向日庵での寿岳さんの活動の一端にも触れられていてそこが非常におもしろいです。


最初にこの本を読んだとき、例えば先に引用した寿岳さんの見解も含めて、自分とは違った見解にぶつかることが多かったのにず関わらず、先の文章も含めて寿岳さんの文章が放つ不思議な力になぜか惹き付けられながらこの本を読みました。この「力」の正体というのは説明しづらいのですが、陳腐な表現が許されるならば「気概」ということになるのでしょうか。その気概を端的に示すエピソードがあったのでこれも引用しておきます:

いまふりかえってみると、私が向日庵本作成に情熱をそそいだ期間は、日本国政府が英語や英文学の学徒を国賊のように言いくたし、大学の英米文学科が次々ととりつぶされた時期にあたる。その間私は、こつこつと十数冊の限定本づくりに励み、熱心な読者に直接頒布した。出版法の規定からすれば、内務省への納本が義務づけられていたけれど、私はあえて納本しなかった。出版の自由を当然とする私の信条の、国会体制へのささやかな反抗である。それに、国家権力の上にあぐらをかく内務官僚どもに、心血をそそいだわが手づくりの本を渡してたまるか、との気概も私にあった。


電子書籍が本格的に普及しはじめた今、ちょっと出版について考え直すきっかけになる一冊という位置づけももちろん出来ますが、寿岳さんの気概に触れてなんだか元気になる一冊だと思います。

目次
近英の私版
ウィリャム・モリス
モリス生誕百年
ケルムスコット・プレス
ウィリャム・モリスと柳宗悦
モリスと資本論
モリスの装幀
作家と装幀
書物工芸家としてのモリス
ウィリャム・モリス再評価-この脱活字時代に-
モリスのすぐれた継承者-アシェンデン・プレスのホーンビー-
わが『書物』の思い出
光悦と書物道
向日庵私版発願記
なぜ向日庵私版を復興しないか
あらためてモリスを憶う
モリスと日本

ケルムスコット・プレス刊行本
モリス本の日本語訳
モリス参考文献
寿岳文章 向日庵本
モリス略年譜
解説(笠原勝朗)


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