ある有名建築家の挫折(デハナイ)

光文社新書の『「間取り」で楽しむ住宅読本』を読みました(以下では『間取り読本』と略記)。

「間取り」で楽しむ住宅読本 (光文社新書)「間取り」で楽しむ住宅読本 (光文社新書)
内田 青蔵

光文社
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近代化に伴う日本の住宅の変容過程が簡潔にまとめられていて、とても勉強になったのでまた改めてまとめたいと思いますが、今回はここで紹介されていたあるエピソードがすごく面白かったので紹介したいと思います。


主役は「違いの分かる男(8代目)」としてコーヒーのCMにも出ていた*1建築家の清家清さんです。上からよんでも下からよんでも清家清。息子さんは慶応の塾長をされている経済学者の清家篤さんです。上からよむと清家篤、下からよむと篤家清。清家さんをご存じない方は、最近だとインターネットという外国人がすごく親切になんでも答えてくれるサービスがあるみたいなので、ちょこちょこっと質問してみて下さい。


さて。さて。第二次世界大戦後、日本では「玄関」をなくそうとする動きが見られたという。なぜか? それには日本における玄関のあり方を振り返る必要がある。


『間取り読本』によると、「玄関」という言葉はもともと禅宗に由来するという。禅宗において「玄関」とは、「我々の住む俗世と仏の世界との間の結界を表す言葉」であるという。そしてそこから、禅宗の影響を強く受けた鎌倉武士が、「玄関」を家の外と内とを隔てる場として用いるようになったという。


そして「玄関」は武士の身分制社会を維持する装置として定着していく。武士社会では、部下が上司に対して上下関係を受容することの証として、上司が部下の住まいを訪れることがしばしばあり、ここで玄関(表玄関)は基本的に身分の高い人を招き入れるための場として機能した。一方、他の家族は内玄関、使用人は勝手口を使用した*2


主人とその他の家族を区別する日本的玄関のこうした有り様が前近代性を示す象徴と見られるようになる。そして大量の住宅が不足していた戦後、コンパクトでありながら空間として豊かな住まいが模索される中で、実生活にかかわりの少ない儀礼的な部分は捨てざるを得なかったという事情が重なり、玄関などを切り捨てる動きにつながったという。



さて。さて。そこで清家清さんである。清家さんは1954年に自邸を設計する。50平米程度の「ワンルーム」住宅である。これもとても有名なので「清家清 私の家」などで検索してみてください。「トイレにドアがない!」とか「空飛ぶ畳!」とかの情報が出てくると思います*3。さて、その自邸の建築に際して、清家さんは玄関を排除した。また、それだけでなく、伝統的な履き替えの住まい方そのものの放棄を企図したという。以下、『間取り読本』から引用します。

室内の床に鉄平石を敷き、靴のまま出入りする住宅を考えたからである。それは、清家の言葉を借りれば「庭から室内、室内から庭のcirculationで靴をいちいち脱いだり履いたりしていては、庭と室内を一体に運営できない」ためだという。


えらくカッコいいではないですか。circulationですって。「おめでとう」っていう意味じゃないよ。『間取り読本』では、この清家邸の平面図も掲載されているがやはりえらくカッコいいのです。


ところが。ところがどっこいなんですよ。この野心的な計画は挫折することになります。なぜか? 官憲の圧力か? 清家さんを突然の悲劇が襲ったのか? 続きはCMの後。



(ここでネスカフェのCMがはいる)
(そしてCMがあける)

しかし、実際の生活を始めると、室内がよごれ、奥様からクレームが相次ぎ、履き替える場に戻したという。


偉い、偉すぎる。なんかカッコいいことだけ言って、実際には住みにくかったら意味がないもんなあ。「玄関」の前近代性が批判されている中で玄関を廃したのに、「なんだ俺の設計意図に従えないのか!」じゃあ洒落にならんですよね*4。エゴダダ漏れ建築を無理やり押し付ける建築家には見習ってほしいものです*5。それにしても、近代化の過程で、日本の住宅のありようが大きく変化したにもかかわらず、履き替えの文化は強く残っているというのはそれはそれで面白いと思いました。


ちなみに、清家清さん、建築家としてはもちろん凄い人なわけですが、Wikipediaによると「タモリ倶楽部」にも登場されていたようです。興味のある方はWikipediaの記事も読んでみて下さい。きっとどんどん清家さんが好きになりますよ。

*1:1976年頃のCMらしいのでわたしは見たことがないです。

*2:身分が上の人が来るというのが基本だったのかどうかはちょっと疑問のようにも思いますが、とにかく主人とその客が独占的に使う場であったということですね。

*3:空飛ぶ畳は嘘。移動式の畳が有名なんです。

*4:ただし、清家さん自身が玄関の前近代性を批判する意味を込めて玄関スペースを廃したのかどうかは不明。一般論として戦後にそういう思潮があったという意味です。

*5:ただし、新しい提案があった場合に、違和感を理由にすべてを拒絶するというのはもちろん問題もある。新しい方法というのはいずれも最初は違和感を感じるものなので。