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グローバリゼーションはラクダとともに


『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』を読みました。アフリカで出現した現生人類ーホモ・サピエンスーのごく一握りの人びとがアフリカの地を後にして、徐々に世界中に広がり、そして「再結合」していく(原書のタイトルは『Bound together』)様を描いている。その再結合の原動力になったのが、貿易商、布教師、冒険家、戦士だった(原書の副題は「How traders, preachers, adventurers, and warriors shaped globalization」)。

グローバリゼーション 人類5万年のドラマ (上)グローバリゼーション 人類5万年のドラマ (上)
ナヤン・チャンダ,友田 錫,滝上 広水

エヌティティ出版
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構成も巧みでエピソードも豊富なので飽きずに読める本なのですが、読み終わって感じたのは、具体的な数字が出てくると定性的な記述から得られたイメージと違ったインパクトがあって面白いなあ、という点でした。


印象に残った数字を脈絡なく羅列してみると・・・


1人(p. 30)
いわゆる『アフリカのイブ』と呼ばれる、われわれの祖先についての話。これは常識かもしれませんがやはり何度聞いても凄いことだなと思ってしまいます。

ウィルソンとカンによるこの研究結果に、誰もが驚いた。地球上の五つの異なった地域の五人の系統樹を辿っていくと、五人とも同じ一人の女性を起源に持つことがわかったからだ。その女性はおよそ二十万年前に、おそらくアフリカに住んでいたと推定された。(中略)
 当時生きていた女性が彼女一人でなかったことは明らかだが、この女性は最も幸運だった。というのは、他の女性の子孫の系統は消滅して、この女性の子孫の系統だけが生き残り、世界中に住むようになったからだ。

キム・ジョンイル総書記もバラク・オバマ大統領も菅直人総理*1もみんな共通の「曽、曽・・・曽母」を持つわけですよ御主人。



3,000人(p. 49)
これは、大陸から日本に渡って来て縄文文化を発展させた集団の規模。

 中国と東南アジアが、ヒトが日本に移動するための「待機場」であったことが明らかになった。海面の水位が下がって日本と大陸本土とが陸続きであった二万年前から一万二〇〇〇年前にかけてのある時期に、中央アジアからやって来た狩猟・採集民が北日本に移り住んだ。チベットと中国北西部アルタイ山脈との間の地域から推定三〇〇〇人の人びとが日本に歩いて辿り着き、縄文文化を発展させた。

この「三千人」という具体的な数字が出るのが面白い。なんか「大陸から集団が渡って来た」と言うよりも、具体的なイメージが湧いてドキドキしたりします*2



1,000年間(p. 91)
ラクダのキャラバンによる輸送が船による輸送を凌駕していた期間 

ラクダを使役する技術が確立したのが西暦紀元の初期で、西暦1300年頃に航海技術に革新が起きるまでの1000年間にわたってラクダは主要な輸送手段の座を占めていた。ラクダの導入によって、中央アジアの砂漠を渡ることが可能になり、中国、インド、東地中海の間に、初めて直接のつながりが実現した(例えばシルクロード)。その他にも、この本の中でラクダの輸送能力の高さ(運搬量、スピード、エネルギー効率)が述べられていて驚きました。ラクダなめてた、スマン。



30ヶ月------>3ヶ月(p. 97)
モンスーンの発見によるインドーエジプト間の帆走時間の短縮 

インド洋北部はモンスーンの影響が強く、夏の南西風によって紅海から出帆した船はインドに直行することができ、冬には逆向きに吹く風によって紅海に帰り着くことができる。紀元前後にこのモンスーンが発見されたことにより、ローマ帝国(エジプトはその東端)とインドとの結びつきが劇的に強まり、ローマは世界経済の「ハブ」にのし上がった。またモンスーン発見以降、ここでの輸送速度は蒸気船が登場するまでの1700年間ほとんど変わらなかった。モンスーンなめてた、スマン。



28%(p. 114)
西暦1500年から1634年の間にポルトガルを出てインドに向かった船のうち沈没したものの割合。

沈没しなくても船上や渡航先での病死や事故死などもあったわけで、かなりリスクの高い航海だったことが分かる。このように危険に満ちた航海であったにもかかわらず、「莫大な利益に惹かれて航海に出る船はあとを絶たなかった」という。膨大な利益なめてた、スマン。



25%(p. 154)
西暦1700年時点の世界のGDPに占めるインドのGDPの割合
この主たる原動力は綿織物の生産。インドの綿織物は、「産業革命が起きるまで、世界で輸出される主要製造品の中では最大の品目であり続けた」。インド綿なめてた、スマン。



6,000トン/17,000トン(p. 156)
これもインド綿のすごさを物語る数字。16世紀に新世界から外部に持ち出された銀が推定17000トン。そのうち、約6000トンがインドに集まった。これはヨーロッパがインドからの輸入(ほとんどが綿)の支払いに充てたもの。またインド綿なめてた、スマンスマン。



80杯
パリでは17世紀末にカフェの第一号が開店し、カフェ文化が花開いた。フランスの作家ヴォルテール(1694-1778)は、一日にコーヒーを80杯飲んだらしい。というか、本当でも嘘でもどっちでもいいので、事実かどうか誰も検証してないだけではないだろうか。まあでもヴォルテールなめてた、スマン。



18,000個(p. 196-7)
1930年代にデジタル・コンピューターが初めて作られた。ペンシルヴァニア大学のENIACで、これは18,000個もの真空管を使っていた。「そこから発する鈍い輝きが蛾を引き寄せたため、よくショートが起きた。コンピュータ・プログラムのミスを修正する必要が生じたとき、デバッグ、すなわち虫を除去するという言葉をあてはめたのは、この蛾によるショートの経験からだった。」。蛾なめてた、スマン。



5年間(p. 219)
これは少なからず希望を抱かせる数字。ジョディ・ウイリアムズは1992年に地雷のない世界づくりのキャンペーンを開始した。そして1997年には122の国が地雷禁止条約に調印した(Wikipediaによると、2007年4月現在で153カ国が調印し、批准している)。



0人(p. 243-4)
スコットランド人宣教師デイヴィッド・リヴィングストンがキリスト教に改宗させたアフリカ人の数。「伝道者としての彼の役目は失敗に終わった。彼が改宗させることができたのは、たった一人のアフリカ人の酋長だったが、この酋長も厳格な一夫一婦制に耐えきれず、結局信仰を捨ててしまったからである。そしてリヴィングストンは「専業」の探検家になった。」。個人的に恥をさらすと、リヴィングストンについては大きく誤解していた。奴隷制に反対していたことなどをこの本で初めて知った。



50万人(p. 280)
16世紀の百年間で新世界に渡ったスペイン人の数。 



1/30(p. 306)
スペイン・カスティーリャ王室がコロンブスの冒険のスポンサーであったことはよく知られている。カスティーリャ王室はこの航海から膨大な富を手に入れようとした。しかし、その投資額は、コロンブスの航海の少し前に行われたイザベラ女王とアルフォンソ王との結婚式につぎ込まれた資金の1/30だった。神田うのも結婚費用の1/30程度ははてなハイクに投資すべき。



6000万人
19世紀半ばにヨーロッパと新世界との間に蒸気船が定期的に運行されるようになってから70年の間に新世界に渡ったヨーロッパ人の数。そのうち3700万人がアメリカ、残りは南米。



1200万人(p. 314)
奴隷貿易で新世界に強制移住させられたアフリカ人の数。



8つ(p. 317)
19世紀、キューバでの砂糖栽培などのためにカリブ海に渡る中国移民が多数いた。こうした移民を乗せる船は棺桶船と呼ばれた。これらの船にはカリブ海までの3、4ヶ月に渡る航海中に死人が出ることを想定して、棺桶が8つずつ積み込まれていた。



3500万人、2000万人
2005年に、中国以外の国に散らばる中国人の数と、インド以外の国に住むインド人の数。母数が大きいとはいえ凄いですね。


上巻からざっと挙げただけでもこれだけあってとても楽しく読めました。


グローバリゼーション 人類5万年のドラマ (下)グローバリゼーション 人類5万年のドラマ (下)
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*1:伊達直人さんも

*2:もちろん、推定値なので、数字だけ一人歩きするとまずくて、誤差がどれくらいあるかとか、推定方法はどうなっているのかとか気をつけなきゃいけないわけですが