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チラシの裏が語る1000年前の庶民の姿

読書 歴史

前回の記事に引き続き、『庶民たちの平安京』の中から面白かった点を取り上げてみます。



この本の中で「雑色錦重任解(ぞうしきにしきのしげとうげ)」という文書(もんじょ)が紹介されています。この文書は、長保元年(西暦999年)の日付が入っており、一条天皇の治世に書かれたものです。


ここで「雑色」というのは、王朝貴族のもとで召し使われていた従者の総称です*1。また「錦重任」は、とある庶民男性の名前です。そして「解」というのは当時の上申書だそうですから「雑色錦重任解」というのは、錦重任という庶民男性が書いた嘆願書ということになります。


この文書の内容は非常に面白いのですが、内容についてはここでは触れないので興味のある方は是非実際に本書を読んでみていただきたいと思います。ただ、その代わりに、ひとつだけ、なぜ庶民が書いた嘆願書が千年の時を超えて廃棄されずに残されたのかという点が楽しいので紹介しておきたいと思います。


これはこの嘆願書を書いた錦重任という人物が仕えた主家が藤原公任であったことが関係しているそうです。藤原公任は、和歌、漢詩、音楽、書に秀でた当時の第一級文化人。この公任は「有職故実」にも通暁していたそうで、『北山抄』という儀式書も著しているのだそうだ。そして先の「雑色錦重任解」という文書は、『北山抄』の一部の裏面*2に書かれていたために廃棄されずに済んだというのです。


今の感覚ですと、儀式書の裏に嘆願書を書いたり、嘆願書の裏に儀式書を書くというのはちょっと考えられませんが、当時は紙は大変な貴重品ですのでこういう状況が生まれるわけですね。




実は同じような例がこの本の別の箇所にもでてきます。現代の歴史学者が『九条家延喜式裏文書』と呼んでいる文書だそうです。この文書はどういったものなのでしょうか? 少し長くなりますが引用します:p. 226

九条家の蔵書として現代にまで伝わった『延喜式』は、既に不要となった数々の文書の裏面に『延喜式』の文面が書き写されているという、少しばかり貧乏臭い写本なのである。
 ただ、このような貧乏臭い写本が作られたことは、われわれ現代人には実に幸いであった。というのは、もしかすると何百年もの昔に灰にされていたかもしれない王朝時代の文書の数々が、その裏面を『延喜式』の写本の用紙として利用されることで、現代にまで生き延びたからである。(略)全部で二百通近くも存在する「九条家延喜式裏文書」と呼ばれる文書は、その一つ一つが王朝時代についてのまたとない史料となっている。


延喜式」というのは歴史の教科書で見た記憶のある方もいるでしょうが、ざっくり言うと当時の法令集です。そして当時はこの延喜式を身近においておくには写本を作成しなければならなかったわけですが、延喜式は全50巻という膨大な文書ですので大量の紙が必要になります。そういうわけで他の用途に使用した紙の裏面を利用するということになったわけですね。


本書では、延喜式の裏面に書かれている文書の内容が実際に紹介されています*3。これがまた非常に面白いので興味のある方は是非実際に読んでみてください。





そして、裏紙の話で記事を書こうと思っていたら、たまたま最近読んだ『近江から日本史を読み直す』に同じような話が出ていてびっくりしたので紹介します。



この本では「正倉院文書」の例が紹介されています。「正倉院文書」の中には、奈良の東大寺の造営を担当する役所である造東大寺司が各地の山林に「山作所(さんさくしょ)」という用材の伐採基地を設けていたことが詳細に記載されているという。


東大寺の管理下にあった山作所の過半が近江にあり、現在は山肌が露出した「はげ山」状態になっている田上山もそのひとつであったという事実ももちろん面白いのですが、ここでも、なぜ山作所の経理文書「ごとき」が正倉院文書として今に至るまで伝来したのかという点が不思議です。本書の当該箇所を引用してみましょう。 
p. 46

千三百年前のことがこれほど詳細に判明しているのは、山作所の経理文書が東大寺の写経所に回され、反故紙として写経の練習に使われ、正倉院に伝来したためである。

「事実」に到達するまでの過程や手段が面白い

さて、今回は「裏紙が語る歴史」に注目したわけですが、なぜそんなことを紹介したかというと、歴史に限らず、調べた結果明らかになった「事実」だけではなくて、そこに辿り着くための工夫や努力や幸運が面白いということを言いたかったからです。1000年前の庶民の姿を知りたいというのは多くの人が思うことかもしれませんが、じゃあどうやったらそれを知ることができるのかというのはなかなか難しい問題です。今回紹介したケースでは「裏紙」を利用して庶民の姿に迫っていました。


今回の震災絡みで話題になっていたプルトニウム検出器云々の話とも関係してくるかもしれませんが、表に出てくる「事実」や「数値」だけでなく、そこに行きつく迄の手法や着想にまで一歩踏み込むだけで色々と問題点が整理できるようになることもありますし、なにより面白いことに出会える機会がずっと増えるような気がします。


こういう類いの話で私がいつも思い浮かべる話で、バイオリンのストラディバリウスの音色の秘密に迫ったとある研究の話です。この研究では、ストラディバリウスが特殊なニスを用いていたのではないかという昔から言われてきた説を検証しようとしていました。ですがストラディバリウスと言えば大変高価なもので解体するわけにはいきません。そこでその研究では、あるストラディバリウスの修復の際にでる削りかすに目を付け、それを分析に用いていました*4


ストラディバリウスの音色の秘密について想像をめぐらすのは比較的容易なことですが、そこで出てきた仮説を実証するというのは実は結構難しいことです。それを「削りかす」に着目するという視点がとても素晴らしいと思いました。


学校教育の場などでも、「事実に至るプロセス」を少しでも意識すると子供達の興味の持ち方も変わってくるような気がします。また子供達だけでなく、「ああしたい」「こうしたい」という希望はあっても実現するための手段を見いだす段階で挫折することは社会人でもしばしばあると思いますので、せっかく閃いたアイデアを現実のものにするために、どういう手段や手続きを踏めば良いのかという点を頭の片隅にでもおいて考えておくことは、どんな人にとっても役に立つことが多いのではないでしょうか。というか、役に立つ云々ではなくて、多分それはとても楽しい体験だと思うのでやす。おいでやす。

*1:本書の第三章では雑色の様々な仕事が具体的に紹介されていて面白い

*2:どっちが裏なのか?

*3:例えば、ある牛飼童が獄所に拘禁されたことについてその妻が検非違使庁に提出した抗議書など

*4:記憶が曖昧ですが、ごくありふれたニスであるという結果だったと思います