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自分で自分につっこみ自分で謝る辻井喬を味わう本 『ポスト消費社会のゆくえ』

読書 社会

セゾングループを率いた辻井喬(=堤清二)さんと上野千鶴子さんの対談をまとめた『ポスト消費社会のゆくえ』(文春文庫)が面白かった。


バブル崩壊前に編まれたセゾングループの社史の編集委員のひとりであったという上野さんが、辻井さんとともに「セゾンの失敗」を検証することを通して、戦後消費社会の実態を「追体験」する内容になっている。さて、そうしたこの本の主題についてはそれぞれが読んでいただくことにして(えっ!)、以下では個人的にツボにはまった点をいくつか紹介しようと思う。


どんどんどんどん自問する辻井喬がすごい
まず、この本が価値あるものとなっているのは、とにもかくにも「辻井喬が面白い」ということをあぶりだしている点にある(ないかもしれない)。この本でわかるのは辻井さんが「巨大な自問人間」であるということだと思う。とにかく、人から問われる前に自分で問うてしまうのだ。対談なのにどんどん自問自答するのだ。いくつか引用しよう。


p. 184

上野 辻井さんは、採算を度外視して投資をなさる方だという考え方が、社員に定着していたのではないでしょうか。
辻井 どうも定着していたようですね。「いま頃そんな、”定着していたようですね”なんて言われたら困りますよ」と言われそうですが(笑)、そういう私のイメージを社員に定着させたのは、こちらの責任なんでしょうね。

「困りますよ」なんて誰も言ってないのに・・・。


p. 208

上野 結果としてディベロッパー・ビジネスが命取りになりました。
辻井 それはそのとおりで、命取りになるわけですよ。(中略)ホテル業ならホテル業のエキスパートをスカウトして、経営チームを編成すればよかった。しかしそこに小売業専門の経営陣しか回せなかった。(中略)だから失敗するのは当たり前だと言われれば、「おっしゃるとおりです」と言うしかない。

「失敗するのは当たり前」だなんて言ってないのに・・・。


p. 211 自身の引退時期について

辻井 退かせてくれなかったと言いたいけれど、ほんとは自分自身のふんぎりが悪かっただけです。それこそ引かれ者の小唄で、「いや、お前が辞めるって言ったら、辞められたはずじゃないか。いま頃、なに言ってんだよ」と言われると、「すいません」と言うしかない(笑)。

「いま頃、なに言ってんだよ」だなんて言ってないのに・・・。


p. 221

辻井 「私は自分をオーナーと思ってない」と言うと、やはり人は「えっ?」と思うらしいんですよ。「お前、嘘のつき方も堂に入ってるよ。自分自身を誤魔化しちゃったら、それはね、嘘じゃなくなっちゃうからなあ」と言われると、「すいませんでした」と謝るしか仕方ないんだけれど。

「嘘のつき方も堂に入ってる」だなんて言われてないのに・・・。


p. 228

辻井 ですから、辞めようと思った時点で、後継者候補を何人か考えていましたが、どうもどの候補も心配でね。そういうふうに心配なのは、「あんた、ほんとはずっと責任者でいたかったからじゃないの?」と、上野さんは質問したそうなお顔をなさってるけれども(笑)、そういうふうに自分でも思いましたよ。

「質問したそうお顔」って・・・、地顔やこれは(by千鶴子)。


p. 277

上野 人は自分の意志を越えて、自分のポジションが変わります。辻井さんは共産党の指導者にはなれなかったけど、企業の経営者にはおなりになった。経営者も組織の指揮官ですね。
辻井 あれほど嫌悪していたくせに、「じゃ、あんたはどうして経営者になったの?」と上野さんから聞かれそうなので、前もって、自分に聞きますが(笑)。
上野 ありがとうございます(笑)。

千鶴子先生、思わずお礼してしまっている。


とにかく対談でこの自問密度はすごいと言わざるをえない。怒涛の自問攻撃だ。対談相手が千鶴子先生だという事実をふまえると奇跡的だ。アントニオ猪木風車の理論吉本新喜劇の様式美を足して2で割ってからレンジでチンしてレモン汁をささっと振りかけて熱々のうちに食べておいしかったらクックパッドに投稿してねとしか言いようがない。「他人に殺されるくらいなら自分で死ぬ」ということなのだろうか。いや、それだけではないだろう。この嵐のような自問は、辻井さんという人に内在する「自己否定の美学」の発露ではないだろうか(インチキポストモダン風の語り口で無理やりまとめてみた)。



きっちり「千鶴子の部屋」にする千鶴子先生もすごい
辻井さんもすごいが千鶴子先生もすごいのだ。この対談、基本的に両者の「馬が合っている」という雰囲気があふれていて、全体的に清々しい印象を覚える。しかし、もちろんほのぼのとした空気だけが流れていたら「徹子の部屋とどう違うんだ!」という読者からの怒りの声があがってしまうわけだが、そこはさすが我らが千鶴子先生。きっちり辻井さんを追い込むことを忘れていない。幾度か思わず辻井さんが半切れする場面があり、本書のハイライトとなっている(私的ハイライトだけど)。


p. 206

上野 つまりセゾングループは、顧客本位のサービスといいつつ、じつは「毒と承知で売ったもの」があるのではないですか。
辻井 あるかもしれませんね。
上野 ファイナンス部門はそうじゃないですか?
辻井 いや、ファイナンス部門はどうかなあ。あなたの説だと銀行は全部毒を売っていることになりますよ。ことにクレディセゾンは消費者の零細な資金需要というものに応えるという業態ですからね。だから「毒と承知で売ったもの」は、何だろうなあ。それこそあなたの鋭利な頭脳で考えてみてください。

「鋭利な頭脳」と言葉面だけで言うと褒めているが、実際はムッとしている辻井さん。千鶴子先生の勝利だ(何に勝った?)。


p. 214

上野 辻井さんの『父の肖像』を拝読していると、お父上をモデルとしたらしい楠次郎という登場人物の声が、辻井さんご本人の発言とオーバーラップして聴こえる箇所があります。
辻井 なるほど。あなたも文芸評論をおやりになるといいかもしれませんよ。

ちょっと皮肉モードの辻井さん。千鶴子先生の勝利だ。


p. 221-2

上野 じゃ、権力の地位に就いてもずっと反逆者のおつもりでおられた?
辻井 そうなんですよ。
上野 誰に対する反逆なんですか?
辻井 父親でしょうねえ。
上野 父上がご存命の間はそうだったとしても、そのあとは?
辻井 そのあとはどうだろうなあ・・・・・・。(略)
上野 何に対する反逆でしょう。
辻井 強いていえば、前近代的な人格支配に対する反逆ですね。
上野 法人資本主義を達成するはずだったのに、逆にご自身が抑圧的な権力者になってしまった、と?
辻井 いまの論理の飛躍は面白いですね。ほとんど芸術的です。

やや切れ気味の辻井さん。千鶴子先生の勝利だ。



本書の「あとがき」で、辻井さんは「上野さんが突込みで僕がボケの役割を果たしている」と述べておられる。しかし、辻井さんが対談の禁じ手である自問自答攻撃を繰り出してくるので、仕方なく千鶴子先生が辻井さんを挑発する作戦に打って出て自身のプレゼンスを高めようとしたというのが実態だ。どんな実態だ。


強引なまとめで申し訳ないが、とにかく、この本には、今晩寝る前に2、3度程度音読する価値があると思う。今日は、本書の主題である消費社会うんぬんについては触れる余裕がなかったのでそれについては後日改めてまとめてみたい。もう信じてもらえないかもしれないが今回まったく触れなかった核心部分も相当面白い本なのだ。