癒し系ゆるふわ儒学のススメ

「寝床で読む『論語』−これが凡人の生きる道」を読んだ。


寝床で読む『論語』―これが凡人の生きる道 (ちくま新書)
山田 史生
筑摩書房
売り上げランキング: 617,685




本書の性格は思ったよりも複雑である。とりあえずは「古典のなかの古典」である「論語」を解説した本、と言えるだろう。「論語」とか「儒教」とかいう単語からわたしなどは何を連想するかというと、まずは寺子屋とかで幼い子どもたちが無理やり素読させられていて、ちょっと行儀が悪いだけで先生からどつき回されるみたいなイメージが浮かぶし(浮かばんか)、また論語が好きな人に限ってすぐに切腹しようとするみたいなイメージも根強くあり(ないか)、やや真面目すぎてとっつきにくい感じがしてしまうわけですが、本書の著者山田史生さんは、まずそこに異を唱えている。まず著者が「論語」についてどのように考えているかが、本書の冒頭部で述べられている。

論語』はまさしく「古典のなかの古典」である。で、わたしもそういうイメージで読みはじめたのだが、そんな堅苦しいもんじゃなくて、ほとんど人生論のノリで読めてしまった。押しも押されもしない儒教の祖であらせられる孔子さまも、おっかない大先生というよりは、えらく気さくな先輩におもえた。


そういうことで本書全体のトーンにも重苦しさはなく、おちゃらけた感じになっている。例えば「はじめに」では次のように書かれている。

 副題に「これが凡人の生きる道」と掲げているとおり、この本の中身はなにからなにまで凡庸である(だって凡人が書いたのだから)。あなたがもし凡人であれば、あなたの考えるようなことが書いてある(から、あえて読む必要はない)。あなたが非凡なひとであれば、読むに値しないたわごとが書いてある(から、もっと読む必要がない)。
 おお。この本はだれにとっても読む必要がないことを、わたしはもう見抜いてしまった(あまり洞察力があるのも考えものである)。ひょっとしたらわたしは凡人じゃないのかもしれない。


こういう調子なのでたしかに気楽に読み進めることができる。のだが、読み進めていくとそれだけの本ではないことに気づく。実はかなり野心的な本なのだ。二重三重にオブラートに包みながら、従来の論語解釈にかなり異を唱えている。例えば「先行其言而後従之」という部分の解釈。ここは従来(例えば金谷治訳版)は「先ずその言を行ない、而る後にこれに従う」と訓読されて、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ」と解釈されているらしい。つまり、「これを言いたい!」ということが何かあるんだとしても、まずそれについてべらべら語るのではなくて、行動でもってその言わんとする事を示しなさいということになる。しかしそれに対して著者は次のように述べる


わたしは「必ず行なえ。其の言は而る後に之に従う」と訓読したい。とりあえずやってみて、説明やら言い訳やらは、そのあとで考えよう、と。

つまり、きちんとした理由が思い浮かばなくても、とりあえずやってみたらいい。理由なんて後付けでついてくるんだから、というわけだ。わたしにはどちらの解釈が「正しい」のか判断がつかないが、随分とニュアンスが変わってくるのが分かるだろう。その他にも「わたしの解釈はすこしちがう。「文る」とは、とりつくろうことではなく、ミエを張ることじゃないだろうか。」(p. 117)とか、「孔子はそんな現実的な話をしているのかなあ。」(p. 183)とか、本書ではこういう例がいくつも出てきて面白い。



このように、なるほどそう言われてみると確かにそういう風にも読めるな、という意味での新鮮な驚きが本書にはある。しかし、本書はそれだけにとどまらない。先の事例のように「なるほどな」と感心する解釈もあるのだが、意訳が過ぎて、「ええっ!その解釈は無理筋でしょ」という事例も出てくるのだ。例えば、「けれども、わたしの好きな孔子は、そんな非情なことはいわない。」(p. 70)とか、「しかし軟弱なわたしとしては、そんな恐ろしい教えとしては読みたくない」(p. 153)とか。また、有名な「子曰く。吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず。」という段についての解釈がそんな感じで面白かった。「もう孔子関係ないやん!」という仕上がりになっていてそれがまた面白かった。



さて、ここまでは論語の解釈に対する異議申立てなのだが、本書ではさらにそれが孔子批判にまで及んでくる部分もある(もちろん「孔子大好き」が基本的なスタンスなんだけど)。例えば第五章では「子曰く。性、相近し。習い、相遠し。子曰く。ただ上知と下愚とは移らず。」という部分が出てくるのだが、これについては次のような展開になる。

 お言葉を返すようだが、凡人の代表として、ここは是が非でも孔子に逆らっておこう。


孔子様も「もうほかの本読んでくれ!」という感じかも知れないが、書き進めていくうちにどんどん興に乗ってくる感じが出ていておすすめの一冊です。「論語」を改めて読みなおしてみたい方などにおすすめです。著者の山田史生さんはちくまプリマー新書でも「孔子」について書いておられるようです。




孔子はこう考えた (ちくまプリマー新書)
山田 史生
筑摩書房
売り上げランキング: 547,698