もっと強く私を縛って! 『なぜ選ぶたびに後悔するのか』

『なぜ選ぶたびに後悔するのか —「選択の自由」の落とし穴』を読んだ。この本のタイトルはこの記事のタイトルのように『もっと強く私を縛って—選択の逆説』とでもすべきだったと真面目に思った。実は、ちょっと不真面目に思ったことは内緒だ*1




本書に次のような記述がある。「断捨離アン」に向けて書かれているような文章でどきっとする。p. 35-6

いま本屋に行くと「ボランタリー・シンプリシティ(あえて単純に暮らす)」なる運動を推進する本や雑誌がいくつかみつかる。(中略)
 『リアル・シンプル』誌はこう主張する。「あなたの生活を単純にする具体的な方法を提案します。これを実践することで、余計なものを取り払い、”しなければならない”ことではなく、やりたいことに意識を集中できるようになるでしょう。」自分の「願望」を大切にし、自分の「やりたい」ことに意識を集中するのが、多すぎる選択肢に対する解答だとは、わたしには思えない。むしろそれぞれ、ひとりひとりが、自分の願望に意識を集中するからこそ、これだけ種々雑多な選択肢がうまれるのではないか?


なにやら怖ろしげではないですか。そして、著者は本書の目的を次のように述べている

現代のアメリカでは、選択の自由が広がっているというのに、満足を感じていないひとが増えている。その理由をあきらかにし、それに対してなにができるかを提案するのが、本書の目的だ。


この目的に沿って、なぜ人は「誤った」選択をしてしまうのか、その心理的基盤が分かりやすく説明されている。また、選ぶことがなぜ苦しみをもたらすのか、選択した後になぜその選択を後悔して苦しむのか、というあたりも丁寧に説明されている。カーネマンらの行動経済学の知見にも依拠して、人間の意思決定の「ゆがみ」を概説する章も設けられており、意思決定の入門編としても非常にお得な一冊だと思う。また、本書が興味深いのは、近年の選択肢の爆発的増大が、満足感や幸福感をもたらしていないというだけにとどまらず、近年の爆発的な臨床的うつの増加と関係しているという見解が示されてある点だろう(第10章 選択がうつをもたらすとき)。今回は割愛するが、興味のある方は実際に読んでみられるといいのではないかと思う。


マキシマイザーとサティスファイサー

では、この過剰な選択肢の「暴圧」に押しつぶされやすいのは、どういうタイプの人なのだろうか? 著者は、「選ぶなら最高しか受け入れないのを信条としている人々」が過剰な選択肢に押しつぶされやすいとし、このタイプの人々を「マキシマイザー(最大化人間)」と呼んでいる。


これに対して「まずまずいいものでよしとして、どこかにもっといいものがあるかもしれない、とは考えない」タイプの人々を「サティスファイサー(満足人間)」と呼んでいる*2


本書では、13項目の問いに答えることで、マキシマイザー型であるか、サティスファイサー型であるかを判定するテストが紹介してあって面白い。興味のある方は是非本書を実際に手に取って確認してみてほしい。


マキシマイザーが他者の評価に依存するという逆説

さて、マキシマイザーとサティスファイサーの違いの中で、最も印象的だったのは以下の「逆説」だった。興味深いことに、他人との比較が自己評価にどのように影響するかを調べると、マキシマイザー・タイプの人の方が、他人の評価に敏感であることが明らかになった。この結果をもとに、著者は次のような考察をする。p. 236-7

この相反するアプローチを見比べると、一種の矛盾があることに気がつく。「最大化」とは、文字どおり、最大、最高を求めることで、ここでの基準は、絶対的だ。(略)逆に、「満足化」とは、文字どおり、まずまず満足できるものを求めることで、ここでの基準は、相対的だ。(略)ところが、調査から浮かび上がった傾向は、逆だった。基準が相対的だったのはマキシイマイザーで、絶対的な基準をもつのは、サティスファイサーだった。(略)なにが最高かを見極める作業は複雑すぎて、けっきょくは他人との比較に頼ることになる。一方、「まずまず」とは、客観的な基準ではなく、もともとそこにあってだれもが確認できるものではない。だれが判断を下すのかによって、どのようにでも変わる。だがそれは最終的には、他人の基準にも、他人がなにを手に入れたかにも、左右されない。

選択肢が増えたのに幸福になれない理由

現代社会が数々の選択肢を提供しているにもかかわらず、各種の意識調査から、現代人の幸福感は上がっていないことが明らかになっているそうだ。選択肢が増えているにもかかわらず、幸福感が上がっていない理由として、著者は社会的関係の希薄化を挙げている。当然と言えば当然なのだが、著者が指摘する「自由」と「束縛」との関係については改めて考えてみる必要があるだろう。p. 130-1

社会的なつながりは実際には、多くの点で、自由や選択や自主性を妨げる方向で働く。たとえば結婚とは、ひとりの相手にわが身を縛ることで、性的にはもちろん感情的にも交際相手を選ぶ自由を奪われる。深い友人関係には、負担がついてまわる。(略)ようするに、ふつうに考えれば逆のようだが、幸福にもっとも貢献すると考えられている要因は、わたしたちを解放するどころか、束縛している。


何の番組だったか忘れたが、以前テレビでホンジャマカ石塚英彦さんが、「自分は自由が嫌いで、もっともっとルールに縛られたい」というニュアンスのことを発言していたという記憶がある。そのときは共演者の笑いにつられて、何となく笑っていたが、石ちゃんの直観は鋭い。わたしたちは、自由を求めると同時にもっともっと「縛られたがっている」のだ。


無縁社会」をめぐる議論で、「われわれは旧来のコミュニティにおける様々なしがらみから逃れるために、自ら進んで「縁」を放棄したのだ」というような議論が出てくる。確かにそういう面はある。だが、「縁」を必要と感じている人でもそれを得るのが困難になっているという側面についても考えておく必要があるだろう。かつては所与と思われた社会的関係も、現代では様相が一変している。この点に関して、著者は、ロバート・レーンがその著書『市場民主主義における幸福感の喪失(The loss of happiness in market democracies)』で述べた言葉を引いて次のように指摘する。p. 133

レーンはこういう。「かつて近所づきあいや仕事を通じて与えられていたものが、いまや勝ち取るものになった。それぞれ自分で友人をつくって・・・家族との関係をせっせとつないでいかなければならない」。言い換えると、社会的つながりとは生得権ではなく、厳しい選択につぐ選択から選び取るものになった。

選択肢を増やしている犯人は誰なのか?

さて、社会学者のジグムント・バウマンは、「コミュニティの代用品としてのアイデンティティ」というストーリーを繰返し説く。アイデンティティとはコミュニティ崩壊の副産物に過ぎないというわけだ。さらに、バウマンは、雇用が流動化・不安定化した現代社会では生産者としてアイデンティティを確立することが困難であり、「消費の美学」によってアイデンティティを確立せざるを得ないという状況を描く。


バウマンのストーリーと本書のストーリーを足し合わせるとどうなるか。わたしたちが望んだことかどうかは置いておくとして、コミュニティをは崩壊し、社会的関係は希薄化した。同時に、大競争時代に突入し、生産者としての地位は不安定化し、消費がアイデンティティを支える事態が生じた。それはつまりわれわれが、他人とは違う消費生活を求めるということであり、おそらくそれに応じて市場は多様化していく。これはつまり選択肢の爆発的な増加に他ならない。われわれはいわば自らが作り出した選択肢の増加という状況の中で呆然となり、イライラとし、無力感にさいなまれているということではないだろうか。


本書の最終章である11章「選択にどう向き合うか」の中で、選択肢の増大がもたらす「心労の種」を緩和するための具体的な11個の対策を提案している。例えば5番目の対策は「決定を取り消し不能にする」というものだ*3。ちょっと直観に反していて面白いでしょ。その他の対策も非常に具体的で役立つと思うので是非読んでみていただきたい *4



だが、バウマンが指摘するとおり「消費の美学」がアイデンティティを支えている限り、われわれは本質的にマキシマイザーたらざるを得ないのだろう。だから油断していると常に選択肢の暴圧に押しつぶされるのではないか、そんなような印象も持った。


また、さらに妄想を働かせると、現代人がマキシマイザーたらざるを得ない理由として、非常に高度なレベルで「一度きりの生」というテーゼを受容してしまったからではないかと思っている。人類が蓄積してきた知恵のかなりの部分は、死の恐怖を緩和する装置を開発することに向けられてきたのだと思う。宗教がその最たるものだ。しかし死の恐怖を和らげてくれていた「神」は沈黙するに至り、それと同時に「限りある人生」が残された*5。これはおそらく人類史上稀にみる珍事なのだ。「出来る限り最高の人生にしたい」という欲望は、人生が一度きりであるという「諦念」に根ざしている。この貴重な「一度きりの人生」で最大の効果*6を挙げるにはなにをなすべきなのか? こんなことを考えた人間はこれまでにいなかったのだ*7


というのが今抱いている妄想だが、それはまた別のお話。


参照した本や関連するかもしれない本




*1:ちなみに原著タイトルは『The Paradox of Choice - Why More Is Less』

*2:指摘するまでもないかもしれませんが、著者のシュワルツさんは、本書で提案されるアイデアは、ハーバート・A・サイモンの「満足化行動」に依拠していると述べています

*3:11個もあるのでひとつぐらいバラしてもいいでしょうか?

*4:わたしはいくつか実際に実行し始めた

*5:そしてその死の恐ろしさゆえに、日常生活から死が遠ざけられることで、さらに死はおそろしいものとなる

*6:効果とは何か?

*7:「ライフサイクルに基づいた人生設計」なんてつい最近まで考えたこともなかったはずなのだ。