『ナチス狩り』(ハワード・ブラム)

本書の「読者への覚書」には次のように記されている

 これは実話である。
 ユダヤ旅団−第二次世界大戦の最後の数ヶ月間にヨーロッパで戦うべく、イギリスによってパレスチナから派遣された五千人の軍隊−の活動を記している。
 この軍隊に志願して任務を果たした三人の兵士−イズリエル・カルミとヨハナン・ペルツとアリエ・ピンチェク−の物語でもある。この三人は、自らの生きた時代によって人生を変えられてしまったが、その行動によって自分たちの周囲の世界を変えもした。


著者のハワード・ブラムは、その三人の男(カルミ、ペルツ、ピンチェク)にインタビューし、その他の人々の個人的回想録にあたり、「ユダヤ旅団」の足跡を辿っている。当時、イギリス統治下にあったパレスチナのユダヤ人は、ナチと戦うことを望み、ユダヤ史上初の戦闘部隊が誕生した。彼らはイタリアで終戦を迎え、ドイツに入りホロコーストの惨劇を目の当たりにする。そしてあるゲシュタポを脅迫して得た元SS将校のリストを入手し、「処刑」を実行していく。しかし、最終的には「処刑」に疑問を抱くようになり、ヨーロッパ各地で生き残ったユダヤ人のパレスチナへの移送に従事するようになる、というのが本書の大筋だ。


もちろん陰惨な事件に満ち溢れているのだけれども、60年以上を経過してなお、パレスチナの地では身の危険のない「普通の生活」が実現していない(ユダヤ人にとってもパレスチナ人にとっても)ことを思うと余計に暗い気持ちになる。パレスチナ人への迫害はもちろん許されることではないけれども、以下に引く挿話は、ユダヤ人にとってイスラエルという国がいかなる存在なのかを象徴しているようで複雑な気持ちになる。


カルミとペレツは、アメリカ情報部を通じて、元SS将校がとある教会に潜伏していることを知る。その男を処刑するべく教会に出向くと、そこでひとりの少女に出会う。エヴァという名のその少女の両親は強制収容所で殺され、孤児となったエヴァは修道女に引き取られていたのだ。「ユダヤ人のいるところに行きたい」と訴えるエヴァをカルミとペルツは教会から連れ出す。

修道女たちから少女を救ったものの、二人の兵士は、これから少女をどこに連れていけばいいか見当もつかなかった。(中略)選択肢がつきると、イタリアの国境の向こうのポンテッバの一時収容所に連れていくことに決めた。(中略)
 ポンテッパに行く途中、カルミはエヴァに、暖かな日ざしのなかでメロンやオレンジが育つ土地の農家に住んでいる幼い娘のことを話した。そこは、ユダヤ人でいることが罪でない場所でもあった。少女は、カルミが天国に住んでいるみたいだと言った。


「ユダヤ人でいることが罪でない場所」というフレーズが突き刺さる。そして、「ユダヤ人でいることが罪でない場所」がパレスチナの地に建国されたことで、今度はたくさんのパレスチナ人が傷つき、それにより尽きることのない負の連鎖が今なお続いているという現実。


イスラエル側もパレスチナ側も「弱腰」な対応が政治的オプションとして許容されない(韓国と北朝鮮もそうなのだろう)。挑発に対して自制するという選択肢がない状況で、負の連鎖を断ち切る道筋は見えてこない。民主党(日本の)の外交がすばらしいと褒め称えたりはしないけれども、批判は受けながらも「弱腰」の対応がなんとか許されている日本の状況をわたしは幸運なことだと思っている。



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始めに引いた「読者への覚書」で著者は「三人の兵士」の物語と述べているが、その三人のうちのひとりであるアリエ・ピンチェクの妹レアの壮絶な逃避行も貴重な証言となっている。アリエ・ピンチェクは17歳のときに、両親と妹のいるウクライナのレフロフカを後にして、単身でパレスチナに移住する。戦争が始まり、ナチスの迫害が始まると、14歳のレアは、まず父親と生き別れとなり、一緒に逃げた母親とも離れ離れとなり、その後は単身での逃避行となる。奇跡的に生き残り終戦を迎えたレアはいったん故郷の村に戻り、クラスメートの家を訪ねる。

友だちでクラスメートのペセルが生きている可能性があることを知って、レアは期待で胸をふくらませた。ペセルは戦前、ピンチェク家の家族の一員といっていいくらいよく遊びに来ていたのだ。(中略)
 レアはドアをノックした。長くて不ぞろいな白ひげを生やした男が出てきた。レアがシハムを最後に見たときは、黒いひげを生やして太鼓腹をし、丸顔ににこやかな笑みを浮かべていたのだ。いまは、長く困難な人生を終えようとしている人間のように見えた。
「レアかね?」
レアが答えるより先に、シムハは彼女を抱きしめていた。そして、泣きながらきいた。
「ご両親は?」
レアはすすり泣きながら首をふることしかできなかった。
「それなら、きみはわたしの娘だ」シムハは言った。


ユダヤ人の苦難の歴史やパレスチナの人々の今なお続く苦しみを理解できますなどとは到底言えないけれども、せめて争いのおぞましさと不毛さにできる限りの想像力を働かせて、沸き立ちつつあり「勇ましさ」を解毒しなければと思う。内なる勇ましさも含めて。