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『危険な宗教の見分け方』読んだ

『危険な宗教の見分け方』を読んだ。



本書は田原総一朗上祐史浩の対談をまとめたものである。上祐氏というと、現在30歳より上くらいの方であれば説明の必要もないくらいの存在だと思われるのだが、現在ではテレビなどでその姿を見かけることがないので若い方々の間では既に知名度が相当低くなっているのかもしれない。


上祐氏は1969年福岡県生まれ。早稲田大の附属高校である早稲田大学高等学院から早稲田大学、同大学院と進む。早稲田では理工学部で情報通信を専攻していたが、その一方で大学院時代の1986年に麻原との出会いを果たしている。その後、宇宙開発事業団に就職(これは私は知らなかった)するが、ほどなく退職してオウム真理教で出家する。オウム真理教では最高幹部のひとりとして、マスメディアにもたびたび登場していた。当時はマスコミからの質問にいろんな理屈をこねて回答するところから「ああ言えばこう言う」をもじって「ああ言えば上祐」などとというような言い方もされていたように記憶している。その後、サリン事件などを経てオウムの一連の凶悪事件が明らかにされる。上祐氏は(少なくとも法律的には)これらの凶悪事件には関与していないということになっているが、別の事件で偽証罪などで逮捕されて服役している。出所後にオウムの後身である「アレフ」の代表になるが、その後「オウム」から脱却。現在は自らが設立した「ひかりの輪」という団体で活動しているという。「ひかりの輪」というのは、上祐氏自身の定義では「宗教」ではなく「東西の思想哲学の勉強教室」だと言う。


本書では、上祐氏自身が、自らの生い立ちからオウムへの入信、そして数々の事件に対する彼なりの総括、麻原崇拝からの脱却、そして現在の活動に至るまでを、田原総一朗氏の質問に答える形で語っている。ひとつひとつの事実が正確に語られているのかどうか判定することは私にはもちろんできないわけだが、全体として、かなり率直に語られているのではないかという印象を持った。例えば、宇宙開発事業団に入った動機について語られた箇所。

上祐 当時の自分にとって宇宙開発というのは「科学」への憧れだけではなかった。自分の価値を最大限に活かせる分野だと考えたんです。つまり、宇宙開発に携わることは手段であって、目的は「自己の価値を最大化すること」だったんです。


田原 自己の価値を最大化?


上祐 自分を、なるべく重要な存在だと思うことができること。


これについては、最終章(第5章宗教やスピリチュアルとどうつきあうか)で語られる「危険な宗教の見分け方」とあわせて考えると興味深いと思う。上祐氏は自身の過去をふまえて「特定の神様や人を絶対視するほど、どこかで歪み、弊害や危険性が出てくる」と語る。そして、本来の仏教やヨガはそういったものとは異なると主張するとともに、次のように語る。

仏教やヨガにおいて最も大切なことは「我にとらわれない」ということだから、自分は多くの人間の一人で、自然の一部だという相対的な自己観が大切なんです。


ここでの上祐氏の発言の主旨は特定の個人を絶対化してはならないということなのだが、私にはひとつ疑問が生じてくる。「我にとらわれない」で「自然の一部」になるということはつまり自他の境界が曖昧になるということなのだろう。では、この「自他の境界が曖昧になった状態」という感覚が得られた時、その感覚というのは、自己が限りなく肥大化していき「世界」が自己で満たされているという感覚(おそらくこれは全能感に近い感覚だと想像するのだが)と、実際上区別できるものだろうか? 別の言い方で問うとすると、「世界」の中に自己が溶け込んでしまう感覚と、「世界」が自己で満たされる感覚とは、峻別可能なものなのだろうか、ということになるだろう。第五章ではこれからの社会のあるべき姿について上祐氏が語る部分もあるのだが、それともあわせて考えてみても上祐氏の思想について一抹の危うさを覚えたのも事実だった。それはもちろん「元オウムの人」だというバイアスが影響している可能性は否定できないのだが、これについては実際に読んで見た方の感想を是非とも聞いてみたいと思った。


それから印象的だったのは、上祐氏の語り口だった。これは昔から変わっていないと言えばそういうことなのかもしれないし、その善し悪しを断ずるつもりもないのだが、彼の発言に目を通していくと常にどこか他人事のような感じが拭えないのだ。例えば、サリン事件が起きる1995年の数年前から、上祐氏はロシアでの布教活動に軸足を移していたのだが、上祐氏がロシアに行かされたその理由について田原氏が問いただしている箇所がある。それに対して上祐氏は「それには二つの説」があるのだと語り出す。この二つの説の中身については直接本書に当たっていただきたいのだが、上祐氏の語り口というのは次のような感じなのだ。

どうなんでしょう。私は当時はひとつ目の説しか知りませんでした。二つ目の説はむしろ外部の人が言っていることで、ウィキペディアなどを今見ると、左遷説が中心になっています。

さて、本書はさっと読めてしまうくらいの分量なのだが、上記以外にも興味深い記述が多くあった。例えば、オウムの教団内部での人間関係について「当事者」ならではの証言が興味深かった。暗殺された村井秀夫と麻原との関係などは、不謹慎な言い方になるがコントのような趣があった。それ以外にも、田原氏が上祐氏に「キリストの復活についてどう思うか」と問う場面、オウムとダライ・ラマとの金銭的なつながりに関する証言、オウムを「ミニ大日本帝国」だと論じる場面などが印象に残った。


全体を読み終わってみてもやもやとした感覚が残るのは確かだが、カルト教団の中枢にいて、そこから脱却した(とされる)ひとりの人間の証言として面白かった。