黒いアテネは史的唯幻論なのか!


岸田秀さんの『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』という本を読んだ。




岸田さんの本を読むのは久しぶりだ。アマゾンで別の方が書いた別の本のレビューを見ていたら、アマゾンがサジェストしてきたのがこの本だったのだが、『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』という、「女だらけの水泳大会」を意識したシャレオツなタイトルにゾッコン惚れ込んでしまったというわけだ。


さて、我が国において「岸田さんの本を読んでいる」と公言するというのはなかなか勇気がいることだ。「まったく相変わらずトンデモないことを延々と喋っておるわい」などと書けば、「マスカラスの吊り天井固めなんて本気でやってかけられるはずないだろ馬鹿馬鹿しい」などと興ざめな指摘をする無粋な人間だと思われてしまうし、岸田さんの主張を無批判に受け入れて「百年にひとり出るか出ないかという偉大な思想家だ」などと書いてしまえば、休日のスターバックスで「もし馬場さんが生きてたら誰と戦ってほしい? わたしは室伏と戦ってほしい!」と真顔で語ってしまうくらいの社会的なダメージを受けることになる。まさに進むも地獄、引くも地獄という風情だ。


しかも今回紹介する本では、岸田さんが専門としているわけではない歴史について語られている。また専門でない歴史の中でも、非常に大きな論争を引き起こしたマーティン・バナールの『黒いアテナ』についての本であるということで、この「The 死亡フラグ」という風情に読む前からゾクゾクした。体質的に異種格闘技戦とかがたまらなく好きだというような人にはオススメの要素が揃っている。


ちなみに『黒いアテネ』というのは、古代ギリシア文明というのはエジプトやフィニキアの影響を強く受けていて(つまりアジア・アフリカ要素の強い文明で)、古代ギリシア文明がアーリア起源でヨーロッパ直系の先祖だとする通説は近代の人種差別的な歴史観により形成されたものだと主張したものどす。人種差別とかなかなか緊張感のあるテーマを扱っていたこともあって、それこそ歴史学の領域を超えた異種格闘技戦のような展開となり、人格攻撃のようなものも含めて大論争を引き起こし、これも大論争にありがちなようにバナールの主張のどの部分があってて、どの部分が間違っていたのか素人には結局よく分からず「バナールはトンデモ学者」とか「バナールを批判するのは人種差別主義者」というような感じの空中戦になってしまっているという印象を持っており、どなたかきちんと整理してくださいなどと都合のいい事を考えていました。


さて、このようにただでさえカオスな状況にあるトピックに誰に呼ばれたわけでもないのに突然岸田さんが乱入してきたというのが本書の位置づけになりましょうか。この誰に呼ばれたわけでもないのにやってくるというのは学問の王道と言うことも可能なわけですが、本書の場合、岸田さんが「黒いアテネ論争」について徹底して勉強したそぶりすら見せずに、伝家の宝刀史的唯幻論をブンブン振り回すのでさあ大変です。誰が斬られたのか、誰が生き残っているのか、岸田さんがおかしいのか、読んでる自分がおかしいのか、冷たい世間が悪いのか、すぐ死のうとする太宰治が悪いのか一読しただけではよく分からないのですが、さりとて再読する気力は残っていません。


しかし、岸田さんがなんの迷いも見せずに「バナールの主張はほとんど俺の史的唯幻論と同じ」みたいなニュアンスで話を展開するあたりは流石の一言です。また、とにかくいわゆる欧米の白人さんたちは情け容赦なくバッサバッサと斬っていきますので、英会話学校などで欧米人の先生を見ると緊張してうまく喋れないというような人たちが読むと勇気が湧いてくるかもしれません。


最終的にここでわたしが何を言いたいかというと、まともな本をまともに読むのも読書なら、まともでない本をまともでなく読むのも読書だし、歴史について書かれた本をSFとして読むのも読書だということです。たとえ今あなたが平凡な人生を歩んでいたとしても、情熱大陸にでも取り上げられれば知らない人から映画のタダ券くらいは貰えるかもしれませんし、もしそうなればあなたもアベンジャーズを観て人生観が一変するというようなことも起こらないという保証はないわけですから、希望を持って読書に励もうではありませんか。