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猪木の狂気とアリの狂気はなぜ輝かなかったのか?

読書

『完本 1976年のアントニオ猪木』を読んだ。つい読んでしまった。出来心で読んでしまった。無意識に読んでしまった。もし読んでさえいなければ...あなたのもとへ飛んでいくのに...。馬が魚でないのと同様に、クジラも魚ではないのに...。





『完本 1976年のアントニオ猪木』は、1976年にアントニオ猪木が行った「極めて異常な4試合」に焦点をあわせ、この「極めて異常な4試合」が日本のプロレスを永遠に変えたと主張するものだ。1976年の4試合とは、言うまでもなく *1、ウイリアム・ルスカ、モハメッド・アリ、パク・ソンナン、アクラム・ペールワンとの戦いである。コアなプロレスファンではない私にとって、その主張が的を射たものであるか判断する術はない。しかし、それでもなおこの本は充分に面白かった。





第一章「馬場を超えろ 1976年以前」で著者の柳澤氏は次のように指摘する。p. 17

 なぜプロレスラーである猪木が、ボクシングの世界チャンピオンに挑戦しなければならなかったのだろうか。
 生涯の敵、ジャイアント馬場に勝つためである。


猪木を理解するということは、ジャイアント馬場を理解するということである。猪木も馬場も力道山に見いだされたレスラーであることは国民的常識となっているので詳細は割愛する。力道山門下生として同期であったふたりであるが、常に馬場が猪木の一歩も二歩も先を進むという関係であったということも、今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。ジャイアント馬場が武者修行としてアメリカに渡り、アメリカでショーヘイ・ビッグ・ババとして「60年代のアメリカン・プロレスになくてはならないビッグネーム」であったことも今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。しかしその馬場さんが、アメリカで稼いだギャラ15,000ドルを力道山に借用書つきで貸し付けていたという事実は今では国民的常識となっているとは思えなかったので、本書から該当箇所を引用しておきたい。

 アメリカでの(悪役としての)人気、プロモーターからの厚い信頼、一流外国人レスラーとのコネクションという3枚もの切り札を握った馬場は、さらにアメリカで稼いだ1万5000ドルを力道山に借用書つきで貸し付けることによって、力道山に対して心理的優位に立った。
 当時の日本円は国際通貨としての貨幣価値が低く、外国人レスラーへのギャラはすべて米ドルで支払われていた。そのために力道山は沖縄で興行を行って米ドルを稼いでいたが、やがて馬場から借り入れた金を充てるようになった。


馬場さんの本当の恐ろしさを垣間見せてくれるエピソードである。



さて、ジャイアント馬場が二度目のアメリカ遠征を行っていた1963年に大事件が起こる。ある事件がその時代にもたらしたインパクトと、その事件が500年後の歴史教科書に占める大きさとは必ずしも一致しない。この1963年に起きた事件というのは、500年後の歴史教科書には載らないのかもしれないが、確かにその時代の空気を一変させるような出来事であった。のだと思う。そうですよね。そうですかね。


まず、11月22日。四十六歳のアメリカ大統領ケネディがダラスで暗殺される *2。そして、それから間もない12月8日に力道山が赤坂で腹を刺され、同月15日に亡くなっている *3


「絶対君主」力道山の死後、馬場はその後継者としての地歩を確実にかためていったのに対して、猪木は、力道山の後継社長豊登のはからいで始めてアメリカへの武者修行のチャンスを得るものの、アメリカで人気を得ることは出来ず失意のうちに帰国し、放漫経営で日本プロレスを追放された豊登が設立した新団体東京プロレスに加わるもののあえなく経営破綻し日本プロレスに戻り結局馬場の引き立て役に回されたというのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。


こうした状況の中、日本プロレスとともにあった日本テレビに加えて、NET(現テレビ朝日)がプロレス中継に参入するという幸運にも恵まれて、日本プロレスに所属しながら猪木はファンの人気を獲得していき、私生活でも倍賞美津子と結婚するなどようやく猪木に風が吹いてきたと思われた1971年に経理上未処理の仮払金5000万円の使途を巡る争いの中で猪木だけが日本プロレスを除名されるという事件が起きたことも今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。


その後、色々あって馬場は全日本プロレスを立ち上げ、猪木は新日本プロレスを立ち上げ、色々あって猪木は馬場と肩を並べる存在となりつつあったものの、馬場を遥かに超える存在になるために「プロレス」の枠組み内にとどまっていては駄目だと悟ったのが1970年代前半であり、そこから狂気の1976年に話が及ぶのが第2章以降であるのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。。


簡単に構成に触れておこう。

 第2章 ヘーシンクになれなかった男 -ウィリエム・ルスカ
 第3章 アリはプロレスに誘惑される
 第4章 リアル・ファイト -モハメッド・アリ戦
 第5章 大邱の悲劇 -パク・ソンナン戦
 第6章 伝説の一族 -アクラム・ペールワン戦
 第7章 プロレスの時代の終わり
 終章  そして総合格闘技へ
 おわりに
 アントニオ猪木が語る『1976年』


猪木の「真実」だけでなく、対戦相手のストーリーも丁寧に描かれていてその部分も非常に面白かった。例えば、ウィリエム・ルスカがオランダ国内での扱いの低さには驚いたし、ヘーシンクの「聖人神話」も否定されている点なども興味深い。モハメッド・アリ戦については「リアルファイトであったか」という点が焦点なのかもしれないが、それ以外にもアリとフレッド・ブラッシーに親交があったという点や、アリのマーケティングやプロモーションがそもそもプロレスの影響を受けているという事実もこの本で始めて知ることができた。パク・ソンナンやアクラム・ペールワン戦を扱った第5章と第6章からは、プロレスとナショナリズムとの結びつきについて改めて考えさせられる内容となっていた *4 のは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。。


またこの本が「完本」とうたっているのは、単行本『1976年のアントニオ猪木』を文庫化するにあたって、第5章と第6章が加筆されたことに加えて、猪木への直接インタビューを掲載していることによる。しかし、皮肉なことに、このインタビューを読むと、それまでに描かれた「真実」などどうでもいいじゃないかという気分になってくる。これはこの本への悪口ではない。これこそが、つまり真実をどうでもいいと思わせる何かが、猪木の魔力そのものなのではないだろうか、というのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。


アントニオ猪木というのはひとりの狂った人間ではなく、ひとつの狂った国家だ。そして、すべての人間が狂っているように、すべての国家が狂っているように、猪木もまた狂っている。猪木の狂気が他の狂気よりも優れているのは、それが意図した狂気と意図せざる狂気とのミクスチャーであるという点にある。というのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。


国家としての猪木 (仮に、United States of Inoki としておこう *5)が、その忠実なる国民の幻想を維持するためには、一回狂えばいいというわけではない。間断なく、エスカレートした狂気を、予測できない形で提供し続けなくてはならない。意図した狂気はそうした国民の欲望を察して放出されるものだろう。国民の期待に沿う形で狂気を演じてみせるというのは古今東西ありふれた話だ。しかし、猪木の狂気の成分はそれだけではない。意図せざる狂気が潜んでいる。天然100%、正真正銘の狂気だ。有史以来、予備校生に好きなだけ殴ってみなさいと言っておきながら、実際に殴られてブチギレてしまうレスラーがいまだかつていただろうか、いやいない(反語風味)、というのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。


そしてまたそれと同時に、世界広しといえども、この人にビンタされたいと思わせる人間が未だかつて存在しただろうか。キリストは「ほっぺたを殴られたら反対のほっぺを差し出したらいいよ」とカジュアルに言ったのかもしれないが、「俺に殴られたいヤツはいるか?」と問うことはできなかったはずだ。問わんでいい、ジーザス、というのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。。


猪木を愛するとは、猪木の真実を知るということではなくて、猪木が猪木であるような物語を真実とみなすということだ。猪木は失敗を繰返す。しかしそれは壮大な復活物語の序曲として位置づけられる。猪木は私利私欲で動く。しかしそれは高邁な理想に置き換えられる *6ナショナリズムがそうであるように。だから、お前は一体何を言ってるんだ→自分。はい、ありがとうございます。


正直なところ、コアなプロレスファンがこの本にどういう感慨を抱くのか想像もつかないのだが、ひょっとすると私のようになんとなくちょっとだけプロレスや格闘技について知っているような緩いプロレスファンの人が最もこの本を楽しめるのかもしれない、というのは今や国民的常識となっているので詳細は割愛する。







*1:「言うまでもなく」だって、プププ。

*2:ちなみに、この同じ1963年11月22日に C・S・ルイスも亡くなっている。関係ないけど。

*3:ちなみに、1963年12月に アメリカの有名プロレスラー「ゴージャス・ジョージ」も亡くなっている。ゴージャス・ジョージは『完本 1976年のアントニオ猪木』にも、モハメッド・アリに影響を与えた人物として登場する。

*4:もちろんプロレスとナショナリズムを考える上で、最も切ないテキストは力道山のそれである。力道山についてはロバート・ホワイティングの『東京アンダーワールド』などが参考になるだろうか

*5:これは特に意味ないです

*6:もちろん、私利私欲なのか高邁な理想なのかその境界は常に誰においても曖昧なものではある。ナイスフォロー。