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ナマハゲは鎌倉時代に海を渡りネイティブ・アメリカンと出会ったのか?

『ズニ族の謎』を読んだ。



ズニ族というのはアメリカの先住民のひとつで、アメリカ南西部ニューメキシコ州周辺に居住地がある。このズニ族は、言語、文化、形質など様々な点において、周辺の先住民諸族と顕著な違いが認められるという。例えば言語の面でいうと、ズニ語は孤立言語、つまり現存の他の言語と明確な関係性を持たない言語、とされているようだ *1


こうしたズニ族の特異性は長く謎とされていた。なぜズニ族は他の諸族と違っているのだろうか? 

いくつかの考古学的研究から、このズニ地域において、13世紀半ばから明確な社会構造の変化が認められるという。人口の増大が示唆されており、これは灌漑を含めた農耕技術の発展によるものだろうと推測されている。また焼き物に釉薬を用いる技術もこの時期に出現するという。さらに極めて興味深いことに、この時期の遺跡から出る人骨の中には、従来のグループのものに加えて、それとは異なる特徴示すグループがズニに加わったことを示すことなるタイプの骨が認められるという。


この人たちは一体どこからやって来たのだろうか?



『ズニ族の謎』の著者ナンシー・Y・デーヴィスさんは、この13世紀に新たにズニ族に加わった人たちは、海を渡ってきたのではないかと考えている。広い広い太平洋を渡ってきたと考えているのだ。アメリカ西海岸に広がる太平洋。アメリカ西海岸から遥か西方を眺めてみよう。太平洋の先に何が見えるだろうか?


何も見えないよ。海しか見えねえ。なぜなら太平洋は広いから。すごく広いから。仕方がないからグーグルマップを開いて、カルフォルニアから西へ西へと線を伸ばしてみようじゃないか。なにがあるって、そりゃあジパングさ。あれはジャパンだよ、オッカサン。




ナンシー・デーヴィスさんは、ワシントン大学でPh.Dを取得した人類学者であるが、1960年代に日本とズニ族との奇妙な類似性に取り憑かれる。13世紀に太平洋を渡って30人程度の日本人がやってきたのではないか、彼らがズニの文化に変容をもたらしたのではないか、というのが彼女の仮説である。この『ズニ族の謎』で、彼女は様々な角度から日本人渡来説の可能性を検討している。彼女自身も認めるように、そこに確定的な証拠はひとつもない。だが、そこで提示される状況証拠のうち少なくともいくつかには一定の説得力があり、その魅力にぐいぐいと引き込まれていく。


詳細についてはここでは立ち入らないが、例えば、先に挙げた骨の形態面での類似性の他、血液型、特定の疾患の発症、HLAサブタイプについて、日本人とズニ族との類似性についての証拠が提示される。また文化、宇宙観についての類似性も大変に興味深い。


著者が示す数々の類似性の中でも、個人的にもっとも印象に残ったのは、ズニにおける「ナマハゲ」の存在であった。ズニ族ではウワナガという儀式が行われるという。そこではアトシュレと呼ばれる仮面の怪物が、子どもに対して、怠けていると殺して食べてしまうぞと脅しながら訪問するという。ナマハゲの儀式とウワナガの儀式との類似性について本書の該当部分を引いてみる:
p. 316-7

日本及びズニの双方で、仮面の怪物は伝統的に一年の同じ時期、新年の儀式の後の一月半ばに出現する。その到着に先だって、それを知らせるのが前夜に丘の上で焚かれる大かがり火である。共に浄めや、果樹、特に桃の木の守護に関わっている。両方の怪物は死者の国からの来訪者と考えられ、共にナイフその他の武器を携え、異常な脅かすような声を立てる。その仮面には、角や大げさに突出した眼、あごひげを貯えた顔に垂れ下がる馬の毛が共通している。

(中略)

 すべての人間社会は子どもを正しい行ないに向かわせる工夫を考案している。だがその内幾つが、飛び出した眼の仮面の怪物によって、しかも血塗られた武器を携え金切り声を上げて近づくようなやり方で子どもを脅すのであろうか? そしてどの位の頻度で、怪物が両親に何か貰って帰らされ、時期が一月半ば、桃の木を守護する儀礼を伴い、丘陵での火の儀式の後に行われるということがあるのだろうか? 


果たしてナマハゲは海を渡ったのだろうか? 


著者のナンシー・デーヴィスさんは、本書の「日本版への序文」の中で本書の基本的メッセージを簡潔に述べている。

本書によって伝えたい基本的なメッセージは、人類の移動に関するものであり、大海を越えた人間の移動が、現在考えられているよりも遙かに多くあったのではないかということである。あらゆる人間集団は各方面から違う人々や物を創造的にとりこみ、各集団は独自の性格を帯びてきたのだ。この研究が人類に関するわれわれの理解を少しでも深めることに貢献できれば幸いである。


興味のある方は是非一度読んでみていただきたい。またその後の研究の進展をご存知の方がいたら是非教えていただきたいと思います。

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最後に、日本とアメリカとの交流にまつわるエピソードが、同じく「日本版への序文」の中で紹介されていたので引用してみたい。

一九六二年に若い日本の研究者がニューメキシコ州でプエブロ・インディアンの村を初めて訪れたとき、インディアンに「どこの部族から来たの?」と聞かれたという。彼はカルフォルニアにスタンフォード大学の人類学科に準客員教授としてきており、夏休みを利用してこの地域に来ていた。彼が四〇年後の本書の共訳者、吉田禎吾氏である。


吉田禎吾さんによる(批判も含めた)解説も本書の価値を高めているように思った。

*1:wikipedia「プエブロ」に分類が示してある