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八月十五日に戦争は終わったのか?


1945年8月14日深夜11時過ぎ、宮内省の一室。陸軍大元帥の軍装をまとった昭和天皇は終戦詔書を朗読し、それが録音された。声が震えたため、昭和天皇は取り直しを希望し、二回目の朗読がなされという。


日本電気音響(後のデノン)製のDP-17-K可搬型円盤録音機によって録音された終戦詔書が、翌15日正午過ぎ、ラジオで放送された*1。音質が極めて悪かったこと、朗読の節回しが独特であったこと、文章に難解な言葉が相当数含まれていたことなどにより、国民の多くはその論旨を理解できなかったという。これが「八月十五日の神話」の起点となる、いわゆる玉音放送である。



ちくま新書の『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』を読んだ。



本書の序章の冒頭で、阿川弘之の著作を引くかたちで、終戦工作に奔走した海軍大臣米内光政大将の逸話が紹介されている。米内はこの記事の冒頭で触れた終戦詔書の文字数を数えたというのだ。

米内は八月一五日から詔書の書写を繰り返した。「御詔勅の文字はいくつあるか知っているか」と秘書官たち周囲の側近にも尋ねたという。


そして、終戦詔書の文字数は815文字だという。八・一五に読まれた815文字。「八・一五神話」の序曲を聴かされた気がして、冒頭から軽い衝撃を受けつつ読み進めた。


ところが、序章の最後にたどり着くと、終戦詔書の文字数について、ある奇妙な「事実」が明かされる。この事実を知ると、今度は衝撃というより、不気味な感じがしてきた。興味のある方は本書を手にとって「事実」を確認してみてほしい。米内の単なる勘違いに由来するのかもしれないが、「八・一五」の神話たるゆえんを象徴する逸話であるようにも感じた。


戦争が終わるとは?

本書の副題にもあるように、これはメディア研究の書である。「あとがき」に本書の目的と問題意識が端的に語られている。

本書は、「終戦」をめぐる歴史的記憶のメディア研究である。(略)さまざまなメディアを通じて「終戦」の記憶が戦後どのように構築され、変容したかを分析した。
 正直に告白すれば、八月十五日に戦争が終わったわけではないと気づいたのは、それほど前のことではない。(略)戦後生まれの歴史研究者として、自らの「無知」の来歴を確かめつつ本書を執筆した。


引用部にあるように、「8月15日に戦争が終わったわけではない」というのがひとつの出発点になっている。ではなぜわれわれ日本人の中に「8・15終戦」という「歴史」が染みついているのか、メディア(新聞、ラジオ、歴史教科書)の検証を通じてその謎に迫ったのが本書である。


正直に言って、この本を読むまで、そもそも戦争が終わるというのは一体どういう状態を指すのか、という問題を考えたことすらなかった。


本書も参考にして、「終戦」に関連しそうな出来事とその日付を一覧にしたのが下表である。

日付 日本 海外 支持者など
1945 8月6日 広島への原爆投下    
  8月9日 長崎への原爆投下    
  8月10日 ポツダム宣言受諾用意を相手国へ通告    
  8月14日 同宣言受諾確定、相手国へ通告   石橋湛山(注1)、井口和起(注2)
  8月15日 同宣言受諾を自国民へ通告「玉音放送   丸山眞男(注3)、日本遺族会
  8月16日 大本営が即時停戦を発令   江藤淳(注4)
  9月2日 降伏文書に署名 アメリカの対日戦勝記念日  
  9月3日   旧ソ連、中国の対日戦勝記念日  
1951 9月8日 サンフランシスコ講和条約調印    
1952 4月28日 同条約発効   小堀桂一郎


注1:1945年8月18日発売の東洋経済新報で8月14日を「新日本門出の日」と表現。p. 78
注2:『戦争研究はどこまで深まってきたか』という著作中で、終戦日を「八月一四日」と明記していることが、本書p. 250で紹介されている。
注3:「八・一五革命論」を唱える*2。著者は丸山の「八・一五革命論」を痛烈に批判している。p. 252-7
注4:江藤が編集した『占領史録上』では、8月15日終戦を否定し、9月2日ないし1952年4月28日を戦争終了の日とみなすべきという解説がある。さらに江藤がややこしいのは、「戦没者を追悼し平和を祈る日」が制定された1982年当時、その諮問委員会のメンバーだったが、8月15日終戦という枠組みにあえて反対した形跡がないという。p. 87



では、終戦の「標準的」な定義はどのようなものなのだろうか。著者は、1999年に出版された『歴史学事典』の中で中谷和弘が記述した定義を挙げている。それによると「休戦協定が事実上の戦争終結合意」ということであるらしく、これが近代においては一応の「グローバル・スタンダード」であるという。


この観点から言うと、先の大戦の終戦は、休戦文書調印の1945年の9月2日ということになる。だが、天皇が朗読した終戦詔書という文書を根拠にすれば、8月15日を終戦の日とみなすこともできるのではないのか。著者はこれにも否という。該当部分を引用する。p.79

 終戦とは外交事項なので、相手国への通告(八月一四日)より自国民向けの告知(八月十五日)を優先することはグローバル・スタンダードではありえない。


また保守派の一部には、サンフランシスコ講和条約が発効し、占領状態が終わった1952年の4月28日を「終戦」とすべきという議論もあった(例えば東大教授であった小堀桂一郎)。


しかし、現在多くの人の中で「八月十五日=終戦」という枠組みが定着している。先にも述べたように、本書において「八月十五日=終戦」という枠組みが「選択」されていくプロセス、そこでメディアが果たした役割が実証的に明らかにされていくのだが、読み進むほどに歴史を「正確」に語り継ぐことの困難さを痛感させられる*3


またこうした「選択」が定着した背景として、「アメリカに負けて降伏した」という事実を必然的に想起させる「9・2=降伏文書への調印日」を忘却したいという欲望を保守派、進歩派が共有し「記憶の一九五五年体制」に加担してきたことが示唆されている。


「8月15日終戦」という「歴史」が、保守派にとっても進歩派にとっても都合が良かったという点は興味深い。ちょうどこちら(→「偶然を宿命に転じること、これがナショナリズムの魔術である。」 Kousyoublog)でナショナリズムについての記事がありましたが、本書はナショナリズムというのがイデオロギーをも超えた「想像」の産物であるという「事実」をも浮き彫りにする一冊であるように思った。


本書のメディア学としての核心部分にはあえて触れなかったが、著者が丸山眞男の「八・一五革命論」を批判する文脈で指摘している次の事実は非常に重要と思われるので是非引用しておきたい。

「八・一五革命論」の受容には、もう一つ別の側面があったのではないだろうか。それは「革命=断絶」を設定することで、戦前と戦後の連続性を見えなくする効果である。そのことが、例えば戦時下から戦後にわたるメディアや情報統制の連続性を隠蔽してきたように思える。一九四五年八月一五日を境に変化したメディアは、新聞、放送、出版など、どの分野にも存在しない。敗戦によって破綻したメディア企業はほとんどないのである。


また、今回はまったく触れていないが、本書は天皇論としても非常に面白いと思う。新書でこれが読めるのは非常に有り難い。

*1:録音は二回行われたが、実際に放送されたのはなぜかテイク1であったという説もあるらしい。ソースはwikipedia。一方、デノンのウエブサイトには「2回目の録音盤が使用されたそうである」とある。

*2:1996年「8月15日」没。

*3:本書の第三章を読むと、教科書検定というのは一体何を検定しようとしているのか改めて考えさせられる。