あとがき文学賞

古山高麗雄さんの『二十三の戦争短編集』を読み直した。



この本を買ったのは数年前のことでしたが、購入の決め手になったのは「あとがき」だったことを思い出しました。あとがきにこんな語りがある。

ゲラを読むと、文章を書き直したくなってムズムズしたが、こらえた。今になって、初期の文章を書き直したりすると、わが裸身の変遷を匿すことになるのでこらえた。
 ただし、事実の明白な間違い、校正ミスと思えるもの、差別語と言われるものの若干は修正した。五十歳の私が八十歳の私にならないように気をつけて加朱をしたつもりである。


「五十歳の私が八十歳の私にならないように気をつけて加朱をしたつもりである。」という一文に特に心惹かれたことを覚えている。今の自分に辻褄をあわせるように、過去の自分を都合良く「改変」してしまいたいという誘惑は程度の差こそあれ誰にでもあることだと思うけれども、都合良く改変したりしなかったと宣言することで、改変することの醜悪さを逆に炙りだしているように感じた。一貫性はあるけれどものっぺりとした「自分」よりは、矛盾を含み、でこぼことした手触りの「自分」を許容できればいいなと思う。実際矛盾してるんだから。そんなことを考えさせる「あとがき」だった。


思えば、本の「あとがき」とか「謝辞」でしびれた経験がこれ以外にも結構あった。わたしの場合、「あとがき」を先に読んでしまう場合が多いし、本を買う際のかなり有力な判断材料にもなっている。


本編では、学術的価値の担保など様々な理由で感情的な記述が避けられるのに対して、「あとがき」では、そういった制約から多少解放されて著者のパーソナリティが露呈しやすく感情移入しやすいという側面があるのかもしれない。また、「あとがき」が味わい深いのは、執筆を終えた高揚感や達成感が著者の口を滑らかにしているという要因もあるのかもしれない。


そんなわけで、これまで印象に残った「あとがき」の中からいくつか拾ってみることにする。



『ネアンデルタール』ジョン・ダーントン

 ランダムハウス社のある年配の編集者がこの作品の原稿を擁護し、初期の段階で構想に手を貸してくれた。文学界では伝説的な人物であり、出版の世界にいた三十五年のあいだに彼が編集者として関わった著名な作家のリストを作ったとしたら、それはとても長いものになるはずだ。作品を改良し、なおかつその作品に著者の作風をしっかりと残す手腕によって、彼は多くの作家から敬愛された。しかしその名が謝辞の中に登場することはなかった。本人が断固として削除したからだ。古い編集者像に固執する人で、編集者は絶対に表に出てはならないという信念の持ち主だった。この十一月、彼は仕事場で急死した。あれほど黒子に徹することがなければ、その名前は何百冊という本に印刷されていたはずだ。そしてあのようなことにさえならなければ、ここにその名前が載ることもなかったろう。はなはだ言葉足らずではあるが、ここに感謝と敬意を捧げるージョー・フォックスに。

『デザインの輪郭』深澤直人

デザインをする量より、デザインを語る量が多くなってはいけないとずっと思ってきた。だからデザインのことを書くときには、それなりの覚悟がいると思っていた。幸いにも最近のデザインの量は並外れているので、短期間に集中して思ったことが多かったということかもしれない。ひとつのデザインを終えることで何かを学んでいると思う。経験を通して学んだことが、この本に集められたということかもしれない。

『小鳥たちのために』ジョン・ケージ

私自身もまたこの本に満足している、というのは、この本の中で私が自分の作品について読みとれることはすべて、私の作品が問いかけを発し続けていることーつまり常に生き生きしていることーを教えてくれるからだ。私達はさまよい続けている。これらの彷徨の合間にーそしてその只中にー突然、抜け道がある。あるいは光がさしこむ瞬間がある。

『手紙』 谷川俊太郎

 計らずも三篇の悼詩が本集に含まれることになった。詩が死に親しむことで生へ向かうものであることを、少しずつ私は信じ始めている。

ヘラクレイトスの火』E・シャルガフ

 とかくするうち、四年間の戦争が、何百万という若い生命を奪い、古い帝国は崩壊し国家は疲弊した。(中略)数え切れぬ数の人々が六年近く続いた第二の戦争で消滅した。原子爆弾が、長崎と広島とに投下された。(中略)アメリカ人は東南アジアを荒廃させ、月を訪れた。貧乏と失業が拡がった。地球のもつ宝が浪費された。全世界が汚染された。殺人と犯罪とが溢れた。組織化された宗教は後退した。麻薬の常用習慣が拡大した。
 これらのすべてのことが起った間に、私は生れ育ち、年老い、そしてこの本を書いた。

『意識の形而上学』(ハードカバー版)井筒俊彦
(井筒豊子さんによる「あとがきに代えて」より)

 今年春三月に完成させる筈のその第一回目の論文を、彼は彼の死ぬその日、一月七日の午後から書き始めようとしていた。(中略)朝の七時に寝に就き、就寝中、九時過ぎに意識を失い、彼の現意識はそのまま回復することはなかった。
(中略)
 それは突如としておとずれた取り返しのつかない挫折、断絶だったのだろうか、私はそうは思わない。論文・著作という外的完成ではなく、次元的にそれに先行する地平、つまり実存的意識地平内に、内的にふと生起する一瞬の無空間的・無時間的な、意味事態磁場こそが、求道的哲学者であった彼自身にとっては少なくとも、より真正で、より如実で、よりポジティブであっただろうから。
(中略)
 すぐ近くで、そして遠くで、文字通り井筒俊彦の意識の生命を、現意識のことばの生命を、支えて下さった読者の方々に対してー彼の魂が今そうしているようにー私も又いま、無限の感謝を捧げたい。

最初の『ネアンデルタール』のあとがきで披露された伝説の編集者の物語は、「あとがき」という枠組みがなければ永遠に日の目を見なかったかもしれない。また最後に引いた、井筒豊子さんの文章などは、亡き夫の魂とのほぼ完全な同一化を果たしており、東京都はこういう表現こそ規制すべきなんではないかと思わせるほど、濃厚なエロスすら感じさせ、やはり強く心を打つものがあると思う。


本なんてなくても生きていけるし、あとがきがなくても本は成立するけれど、自分の人生の傍らに常に良い本があった幸運に感謝したいと思うし、あとがきを読む楽しみはこれからもきっと続くものだと信じている。みなさんにもきっとお気に入りの「あとがき」があるのではないでしょうか?