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私と公の狭間で悶える本 『ポスト消費社会のゆくえ』

読書 社会

前回に続き、『ポスト消費社会のゆくえ』について印象に残った点をメモしておきます。


まずは、「流通小売業」という業界についての辻井さんの認識について。1990年代以降の「セゾンの失敗」について議論の中で、グローバリゼーションによって市場が激化し、その結果としてセゾンも淘汰されたという認識を上野さんが示したのに対して、辻井さんは次のように答えます

p. 247

流通小売業はその地域、その地域に住んでいる人に向かい合うという地場産業です。グローバリゼーションからは除外される業種に属しているように思うんですね。
 地場産業であるということを、あたかも遅れた産業であるというふうに、すり替えて認識する。これが古いタイプの近代主義の本質的な誤りだと思います。ですから、西武百貨店や西友がうまくいかなかったことの理由はそこのところにあるのではなくて、これはまさに経営者の不適格にあると思います。


グローバリゼーションと市場の画一化とが混同されていて議論としてはややずれた感じになっていますが、「流通小売業=地場産業」という認識はやはり面白いと思いましたし、いろいろとヒントになりそうな気がしました。現実には、小売業の画一化が進行しているように思いますが、「流通小売=地場産業」という図式が流通小売業の可能性のひとつ(の再発見)として見直されてくれば面白いのかなと思います。



続いて今度は辻井さんの「百貨店」に対する認識について。基本的に辻井さんは百貨店の歴史的使命は終わっていると主張します。

p. 250

上野 ご自分では百貨店を守ろうとか、延命させようとかはお考えになりませんか?
辻井 ないですね。人間が幸せになれるかどうかが問題で、百貨店という業態は、人間が人間らしく生きるために絶対必要不可欠なもの、と私は思っていませんから。
上野 それはそうです。(笑)


セゾングループの人はひっくりかえったと思いますが、部外者のわたしはある意味で感動しました。そして、辻井さん、次のようなことを言い始めます。

p. 253

辻井 いま、たしかにシステムや雇用の問題から百貨店の道は狭くなっていますが、ちょっと視点を変えて、人間にとって共同体というものはどんな役割を果たしているのかを考えるところから、百貨店を見るということもできます。
上野 そう来ましたか(笑)


突然の共同体論で、上野さんも感動の苦笑いです。経営学部の院生がこんなことを言ったら「お前は何を言ってるんだ」と一蹴されそうですが、これも辻井節だと許されるというのが日本社会のコンセンサスになっているので夜露死苦という感じですね。そしてこれを起点にして、最後の第四章では、「共同体」や「公共性」についての議論が展開されます。


いろいろと面白い議論があったのですが、個人的に興味深かったのは上野さんの次のような問題意識でした。

p. 292

私は長年フェミニズムという女性運動をやってきました。私がやってきたことは公共性への抵抗です。(中略)ですから女性解放は、公より「私」の価値を重視してきました。だからその点では、日本の戦後における公共性の解体、私生活主義万々歳と結果として足並みをそろえ、公共性なしで生きていける、といってきたツケが回ってきた気がします。


また、「公共性」に関しては、「左派が共通して持つ共同体アレルギーという体質のために、公共性の理念をナショナリズムの名のもとに、右に全部持っていかれてしまった」というおふたりの共通の危機意識が示されます。


経済的状況が不透明となった現在から見ると、団塊世代が共同体に距離をおくという選択が可能だったのは、個の重視という価値が強い基盤を形成してきたというよりも、戦後のミゾーユーの経済的繁栄によって個の経済的自立が比較的容易であったという追い風のおかげだったのではないかという気もします。年間自殺者が三万人を超えるという日本社会では、大切な人を失うという現実がいつ自分の身に降りかかるのか分からないというのが現実となっています。そうした状況で、「公共」重視の方に傾くのはある種の必然であるようにも思いますが、そういう時だからこそ、「大義」のために安易に「私」を殺すことがないように、そしてその上で個々人がコミュニティ感情を手放さないようにするという、「狭き門」をくぐる道を模索することが必要になってくるように思います。←お前が言うな。←わたしの勝手だ。←自分勝手なこと言うな。(←公私のバランスの難しさ)


「私」の擁護という点について、辻井さんが語られた平塚らいてうさんのエピソードが印象に残ったので引用したいと思います。

p. 297

平塚らいてうさんは、(中略)子どもができたけれど、恋愛の自由と母性の確立があってこそ、女性の自由と独立が意味を持つという思想から婚姻届を出さず、子どもは自分の私生児として育てた。ところが、戦争が始まり、子どもが兵役を前に私生児として不利にならないために、奥村家に入籍したんですね。このことで、「平塚らいてうは、婦人解放運動を裏切った」という人がいた。私はそんなこと言ってるから、フェミニズム運動というのは拡がっていかないんだよって、女性たちと議論したことがあります。


公私のバランスに絶対的な解はない。わたしたちはその狭間で悶えながら、今日は泣きながら笑い、明日は笑いながら泣くという日々を過ごしていくしかないのだと思います。



最後に
さて、この『ポスト消費社会のゆくえ』という本は、これまで指摘した部分だけでなく、セゾン史としてやはり圧倒的に面白いですし、お二人の息のあった掛け合いも楽しいです。ただ、『ポスト消費社会のゆくえ』とうたっている割には、「ゆくえ」についての議論がわずかしかないので、是非その部分について「続編」で改めて論じて欲しいなと思いました。テーマが地味すぎて続編が出せないというならば、上野さんと辻井さんだけでなく、堤義明さんも加えて西武興亡の歴史を語るという企画にするといいでしょう。堤義明さんが「共同体」や「公共性」について語るというのは非常にシュールなので是非読んでみたいと思います。ただその場合は文春新書の手には負えないので、幻冬舎がんばれ。幻冬舎がやるなら、市川海老蔵も加えようとするかもしれませんが「ポスト消費社会のゆくえ」についての海老蔵の見解は面白そうなので、麻央ちゃんだけでなく必読になると思います。


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