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フィンランドの教育と政治参加

フィンランドはもう「学力」の先を行っている』という本を読んだ。


本書はフィンランドの教育制度と、著者がフィンランド現地で見学した教育の実践例をまとめたものだ。日本とのあまりの違いにびっくりしてしまったわけだが、全体を通読して痛感したのは、学校教育が人生、仕事、社会と切り離されることなく互いに補いながら一体のものとして機能しているということだ。文章にすると教育ってそういうものでしょというようにも思えちゃうかもしれないので、ひとつ例を挙げみる。本書の第二章はフィンランドの小学校教育がテーマになっているのだが、そこで出てくる「政治参加」の一例に衝撃を受けた。本書の著者がストロンベリ小学校というフィンランドの小学校を訪ねた際に校長先生の口から語られた事例である。以下に該当部分を引用する。

たとえば、ある公園に遊具がほしいということを子どもたちが考えつくと、クラスで決め、学校の生徒会に持ち込んで提案として作り直し、毎年5月には市議会の議場を借りて市内生徒会大会があり各校の提案を審議する。そこで決まれば実現する。子どもたちは、大人と同じ社会のプロセスを踏むことで、民主主義の仕組みを学んでいくのだ。これが、子ども参加ということなのだと、校長は説明していた。


少し補足すると、この小学校はフレネ教育の実践を目指して設立されており、そういう意味では、必ずしもフィンランドの教育の典型例を示すものではないのかもしれない。しかし、引用文中に「市内生徒会大会」とあるので、程度の差こそあれ他の小学校でも類似のプロセスを踏ませているのだろうと思われる。シェー、スゴイな、小学生のときからここまでやるんだと感心してしまった。


本書を読んだ後、日本の学習指導要綱にもざっと目を通してみたのだが、実は日本の学習指導要綱でも、政治参加の重要性について理解させるという主旨の記述が存在する(中学の社会の学習指導要綱には「政治参加」という単語が9回も出てくる)。そして日本でも「議会制民主主義の仕組み」とかはもちろん習うわけだが、それが実際の政治との関わりにつながっていないのが現状であろう。「政治参加」というのは本書のメインテーマでは必ずしもないのだが、本書では、フィンランドの教育の特徴を「コンピテンス・ベースの教育」であると謳っている。これは学校内で閉じた知識の習得ではなく、実社会で実践可能な知識・技能の習得を重視する教育というようなことであろう。そう考えると、先に引用した小学生の「政治参加」の例は、「コンピテンス・ベースの教育」を象徴していると言えるのかもしれない。もちろん民主主義の理念や仕組みを学ぶことが無意味だとは言わないが、実際に参加してなんぼの世界だよと教えこむためには、日本も少なくともこうした点については積極的にフィンランドの取り組みを真似して取り入れていくべきなのではと思う。


今回は偏った紹介になってしまったが、本書の目次は以下のとおり。
第1章 グローバル競争のなかの教育制度
第2章 小学校から、もの作りの授業
第3章 中学校のもの作り
第4章 専門学校の取り組み
第5章 専門学校OMNIAの取り組み
第6章 専門職大学(AMK)
第7章 普通科高校から総合大学へ
第8章 フィンランドの職業教育の歴史と展望


小学生から成人の教育までひととおり網羅してある。簡単な歴史的経緯も解説してある。一番感心したのは、フィンランドという国が教育制度をフル活用して、社会の網の目からこぼれ落ちていきそうな人たちを、あの手この手で繋ぎとめることに十分なコストをかけていることだった。統一テストの点数など目先の「学力」に拘って学校教育の良し悪しを判定し続けるならば、日本の地盤沈下は不可避であるように思えてならない。また個人的には「生涯教育」というものがなんなのかいまひとつピンとこないところがあったのだが、本書の第一章で、産業構造が急激に変化する現代社会の特性との関係で生涯教育が論じられていて、非常に勉強になった。本書の39ページには、大学の入学者に占める25才以上の人の割合の国際比較が提示されているが、その割合をみると日本の低さが際立っている。実際に働く経験から出てくる興味や関心に基いてもう一度学校に戻って学び直し、そこで獲得した技能や知識を働く場で活かすというサイクルの構築という面でも日本が立ち遅れていることが示唆される。本書を読んで、なんでもかんでもフィンランド最高と言うつもりはないのだが、自分の子供の教育のことで色々と迷っている真っ最中でもあり非常に刺激を受けた。

楽聖ベートーヴェンと天才クズ野郎ベートホーフェン



ご無沙汰しております。こちら4年に1度だけ亢進する読書ブログです。今回は『ベートーヴェンベートホーフェン 神話の終り』を読みましたので紹介したいと思います。さて、悪趣味ではありますが、こんな問いに答えられるでしょうか。「モーツァルトの葬儀とベートーヴェンの葬儀では、どちらの参列者が多かったか?」 本書の第一章にはモーツァルトベートホーフェンというふたりの天才の葬儀の場面が描かれていますが、そのあまりの違いに驚かされる。びっくりぽんや。


なんでもないです。


本書によると、モーツァルトの葬儀はウィーンのシュテファン大聖堂の一隅で行われた。親族のみが参列した簡素なもので、葬儀が終わると遺体は聖マルクス墓地に向かったが、遺族は誰も付き添わなかったという。一方、ベートホーフェンの棺側に付き添った人の中にはシューベルトチェルニー、フンメルら当時の著名な音楽家がおり、八人もの楽長クラスの音楽家が棺をかついだという。また最後に墓地で読まれた弔辞はウィーン生まれの劇作家グリルパルツァーが書いたものだった。一説には、ベートーヴェンの葬儀に2万人もの人が集まったとも言われており「国葬」級の盛儀であったという。


モーツァルトが亡くなったのは1791年、ベートホーフェンのが亡くなったのは1827年。年数にするとわずか36年の違いでしかないが、年代を見比べると分かるように、ちょうどこの時期はヨーロッパで絶対王政が揺らぎ、市民のエネルギーが爆発し始めた時代と重なっている。モーツァルトがいかに天才と謳われていても、18世紀末のその死が旧体制下の一楽士の死に過ぎなかったのに対して、ベートーヴェンはドイツ精神を代表する「偉大な芸術家」としての死を迎えることになったのである。


本書によると、ベートーヴェンは1814年の"戦争交響曲"によって「一夜にして爆発的な名声を獲得して社交界の花形」となったという。しかし本書の著者に言わせるとそれは「悲しい名声であった」という。

一生を愚直で真摯に"芸術"と格闘した男が得た成功報酬はこの男の最低の作品、劇画のような"戦争交響曲"のもたらしたものだった。ウェリントン将軍の率いるイギリス軍がスペインのビトーリアでフランス軍を撃破した戦争の模写音楽(中略)は勝利に酔っぱらった各国代表の貴顕の人たちの耳には稀代の名曲として響いた。おかげでベートホーフェンはピエロのような"時の人"となった。


戦争交響曲ベートーヴェンの最低の作品だったかどうかは私には分からないが、とにかくこの「成功」によって彼の名は市民の間にも知れわたるようになる。これが葬儀の際の2万人の参列者(著者によると「野次馬」)につながるのだ。こうした時代背景によって、楽聖ベートーヴェンという神話(難聴という困難にもめげず、強靭な意志の力で愚直に真の芸術を追求した偉大な愛国的音楽家云々)が作り上げられていったという。


本書は、こうして形成された「ベートーヴェン神話」を解体して等身大のベートーヴェンを描こうとしている。いわゆるこの「ベートーヴェン神話」の虚構性については、断片的な形ではあるが、私も何度か耳にしたことがあった。皆さんの小学校の音楽の授業でも、ベートーヴェンの第九をみんなで聴いた後で、音楽の先生の声がやおら小さくなったかと思うと「いや、このベートーヴェンという人なんだけれども、実はね・・・」と語り出したという経験があるのではないだろうか。しかし、本書を読むと、この等身大のベートーヴェンのあまりのクズっぷりに腰を抜かしてしまう。本書の第6章には「愚行」という豪速球な章題がついているのだが、この章を読み進めていくうちに、3回ほど声を出して「嘘だろ!」と言ってしまったよ。ゲスの極みだ。育休泥棒だ。


なんでもないです。


この第6章ではベートーヴェンと彼の甥のカール君との関係が描かれている。私が子どもの時に読んだベートーヴェンの伝記では、このカール君こそがベートーヴェン先生の音楽道への邁進を妨げるクズ野郎として描写されていて、わたしはそれを信じて疑わなかったのですが、本書を読み終わった今、このカール君に心からの謝罪をしたい。カール君、君は天才ではなかったけれども決してクズではなかったんだね。天才だけどクズ野郎の伯父を持ってしまったのがあなたの悲劇でしたね。


全体の構成は以下の通り
第1章:盛名
第2章:有名人の肖像
第3章:ゲーテとベートフォーフェン
第4章:女たちの影
第5章:”不滅の恋人”
第6章:愚行
第7章:革命的な音楽家
第8章:栄冠
第9章:終章・フェニックスの歌
[巻末付録]"不滅の恋人"への手紙


第2章の「有名人の肖像」では、神格化されたベートーヴェンの肖像画と「等身大」のベートーヴェンの肖像画とが出てきますが、抱かれたい男No1と抱かれたくない男No1くらい違っていてビビります。


第3章ではゲーテとの関係が出てきますが、このゲーテ関係の逸話もほとんど解体されちゃってて清々しいです。


第4章と第5章はベートーヴェンの女性関係が扱われています。モーツァルトと違って真面目は真面目なので不倫とかはしたくなかったみたいなので、国会議員とかに向いてそうですが、なんせ人としてクズなのでちゃんとした恋人とかつくるのは難しいです。と纏めたら怒られそうですが、大体あっていると思います。


第6章は前述のとおり。清々しいクズです。


第7章からはベートーヴェンの音楽とその評価に焦点があてられていて、著者がもっとも力を入れている部分でしょうか。ロマン・ロランが「傑作の森」と評した中期の作品群がベートーヴェンの存命時にはほとんど評価されていなかった事実にまず驚かされますが、同時に、前述のとおり、後世の人々からは駄作と評されている戦争交響曲によって世間からの絶賛を浴びるという皮肉がベートーヴェンの身に降りかかります。このことでベートーヴェンは完全に「聴衆」を失ったというのが著者の主張です。では「聴衆」を失い「天涯孤独」となったベートーヴェンに残された聴き手とは誰なのかということが第9章で語られています。「人類の生んだ音楽の最高峰ともいうべき五曲の弦楽四重奏曲」と著者が評するベートーヴェンの「後期」の作品群は、彼が「聴衆」を失ったことによって生み出されたものだという。第6章までに出てくる人間としてのクズっぷりと、この音楽家としての天才性とのコントラストが鮮やかでした。正直音楽のことはよく分からないのですが、本書を読むと絶対にベートーヴェンをもう一度聴きなおしてみたくなると思います。

竹と隼人と男と女(本当はすごい竹取物語)

以前に以下の記事を書いた。non-rolling-dig.hatenadiary.jp


ここで紹介した『ズニ族の謎』は、鎌倉時代に30人程度の日本人が太平洋を渡り、アメリカ先住民のズニ族に加わり、その文化に変容をもたらしたという驚くべき仮説を検証した本である。この本については以前に書いた記事を参照していただければと思うが、私がこの本を読んだ時、その面白さに引き込まれはしたものの、それでもやはりあの広い広い太平洋を鎌倉時代に渡った人が本当にいたのだろうかという点はやはりにわかには信じられないという感想を持っていました。



それがこの夏休みに、網野善彦さんと森浩一さんの対談をまとめた『この国のすがたと歴史』を読んでいたら、驚くべきことが語られていたのでログログしたいと思ったのでした。

この国のすがたと歴史 (朝日選書)
網野 善彦 森 浩一
朝日新聞社
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本書の第二章「列島をめぐる交流」に出てくるのが次のエピソードです。

網野 縄文時代からアメリカ大陸と交流があったという説がありますね。縄文時代までさかのぼるかどうかは別として、北太平洋回りで日本列島からアメリカ大陸に行くのは、意外にあっさりできるらしいのですよ。(中略)四国の新居浜の漁師が打瀬網の船で毎年、バンクーバーへ行っているという話が地元の新聞にでたのです。(中略)愛媛の方々が中心になって開いたシンポジウムで、愛媛出身の作家の村上貢さんがその話を紹介したところ、会場から手が上がって、「私の父がやっておりました」という老人が現れたのです。


この老人は、父君が太平洋横断を行っていて事故など起こしたことがないとも仰っていたようです。「打瀬網漁」で画像検索されるとウヘーこんな舟でほんとかなと信じがたいという気になると思いますが、実際に太平洋横断が行われていたようです。また、別の例として網野さんが挙げられていたのが、南米史を研究されている長男の鉄哉氏の話でした。それによると17世紀前半のペルーに20人の日本人がいたことを示す資料が存在するのだそうです。こうした事例をもとに網野さんは「縄文人だって行かなかったとはかぎりませんね」と鎌倉時代はおろか縄文時代の人々がアメリカ大陸に渡っていた可能性を指摘しておられました。


もちろんこれをもってズニ族の謎に決着が着くわけではないですし、源義経が海を渡ってチンギス・ハーンになったわけでもないですが、個人的には昔の人々の航海技術をかなり勝手に過小評価しちゃってたなと反省しました。縄文人版の太平洋ひとりぼっちみたいな状況が想像よりもかなり頻繁にあったと考えたほうが実情にあっているのかもしれません。ただこういうのは自分で経験したわけではないので、例えば南太平洋の海洋民の大移動の話とかを耳にしても、なかなか実感として理解できないという面がありますね。熟練した漁民は、上島さんがアツアツのおでんを口にするくらいの感覚で太平洋横断してたんでしょうか。分かりません。またこういう話が出てくると、聖徳太子は黒人だったとか、織田信長は実はポルトガル人だったとか、デープ・スペクターは越谷出身だとか、麻世とカイヤは実は仲良しとか、色々なトンデモ系が勢いづくという面もあるので実証を疎かにしていいわけではないですね。まあそれでもなお移動手段の乏しかった時代、広い世界を思い描き、時には危険を犯して遠い世界に旅をしていた人々がいるのだと思うと、グローバルだよおっかさんと現代人の専売特許のように叫ぶのも少し気恥ずかしい気がしてきました。


さて、この対談集では、これ以外にも古代から中世にかけての国内外での人の動き、物の動きのダイナミクスについて論じられています。そして人と物の移動の範囲の広さに改めて感動を覚えます。第二章の小見出しの一部を拾ってみると



「東アジアのなかの八丈島」
「隼人の移住」「隼人と竹文化」
「ブドウのきた道」
「地名からたどる集団の交流」
「交易民としてのアイヌ
奥州藤原氏の背景」


いずれも興味深い内容でしたが、個人的に一番興味をもったのが隼人の移住性と竹文化の話題でした。森さんによると、隼人はその移住性に特徴があり、この移住には国家の強制もあったが、自発的移住もあっただろうと述べられていました。大隅の隼人の例が挙げられていて、現在の新大阪付近に要となる移住地(大隅島!)があったと考えられているそうです。そして、そこから淀川をさかのぼった現在の京田辺市のあたりに移住して集落(大住村!)を形成していたことは正倉院文書の「隼人計帳」で確認できるそうで、そこの遺跡調査によると少なくとも五世紀には移住があったようです。この文脈で森さんが、『竹取物語』には隼人の月と竹の話が取り込まれているのではないかと述べられていて非常に驚きました。

竹取物語』は南山城で煮詰まってきたと、一部の国文学の先生はみているけれど、僕は一歩進めて、南山城のなかの隼人の地域で煮詰まってきた、竹の物語、月の物語につながっていると思います。そう考えたら、隼人にはこれといった文化がないどころか、日本で最初の物語をつくり上げる原動力になった人たちだといえるでしょう。

森さんは、男山丘陵は隼人の勢力範囲の北端だから電球で男山八幡の竹を使ったエジソンは隼人に感謝するべきキリ(少し意訳)とまで仰っていておもろおました。十数年前の本ですが、興味のある方は是非どうぞ。








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『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか』を読んだ

ご無沙汰しております。読書日記を書いている場合ではない気もしますが、『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか』が猛烈に面白かったので紹介しますだ。





Amazonの紹介文には「病名から脳科学・神経学をひもとく、ユニークなメディカルヒストリー」とある。本書で取り上げられているトピックには、「パーキンソン病」「アスペルガー症候群」「アルツハイマー病」などの有名な疾患もあれば、「ブローカ野」「ブロードマンの脳地図」など大学の脳科学の授業に出てくるようなトピックもあるし、はたまた舌を噛みそうなあまり耳にしたことのない病気も含まれている。目次は以下のとおり。本書を通読すると、「へぇー」とか「えっ!」とかおそらく百回くらいは言ってると思う。

はじめに 「ドラーイスマ症候群」がありえない理由
第1章 夕闇迫る頃、彼らがやってくる  シャルル・ボネ症候群
第2章 苦しい震え パーキンソン病
第3章 フィニアス・ゲージの死後の徘徊 
第4章 ケレスティヌスの予言 ブローカ野
第5章 ライデン瓶の火花  ジャクソンてんかん
第6章 シベリアのブランデー コルサコフ症候群
第7章 死ね、このバカ! ジル・ド・ラ・トゥーレット症候群
第8章 もつれた迷路  アルツハイマー
第9章 神経学のメルカトル ブロードマンの脳地図
第10章 狂気の大本 クレランボー症候群
第11章 分身にお茶を カプグラ症候群
第12章 小さな教授たち アスペルガー症候群
第13章 カルダーノ的な科学停止


本書の著者はオランダのグローニンゲン大学心理学史教授のダウエ・ドラーイスマ(Douwe Draaisma)。ベストセラーになった「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学」の著者でもある。本書では13のトピックについて、その発見の歴史、命名の歴史を中心に手際よくまとめられていて飽きることがない。文章うまい。構成がいい。著者の専門は記憶の心理学のようですが、こういう人は専門以外でも何を書かせても面白くできると思う。おそらく『小指で鼻くそをほじる人々の7つの習慣』とかいう新書を書かせても700万部くらいはいくと思う。それくらいのレベル。例えば、第四章「ケレスティヌスの予言 ブローカ野」の書き出しはこんなかんじ。

コロンブスと同じく、「ブローカ野」の発見者は自分が何を発見したのか、いまひとつわかっていなかった。
(中略)
多くの神経学の教科書には、次のように書かれている。ブローカは言語障害と脳の左半球の特定の場所の損傷とのあいだの関係を発見し、「ブローカ野」および、それに関連した「ブローカ失語」の語源となった。
 だがこのような書き方は誤解を生む。ブローカ自身はまったく別のものを発見したと信じていたのである。二年後にようやく彼は自分が、日本ではなく新世界に足を踏み入れたことを知った。それはあまりうれしくない発見であった。


こうして一気に本題に引きずり込まれてもう後戻りできない。夏休みで暇している中高生たちは人生が永遠に続くような気でいるかもしれませんが、何があるかわからないのが人生です。今すぐに本屋か図書館に走って、是非本書を手にとって適当に2-3章読んでみてください。あなたの人生が変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。


それでは、最後に本書のトピックのひとつからクイズを出して終わりたいと思います。以下に本書の内容に則して、ある人物(仮に山田一郎さんと呼びます)の生涯を振り返りますが、この山田一郎さんとは一体誰でしょうか? 


時は1864年。一人の男がバイエルンで王位につき、別の男が同じくバイエルンヴュルツブルク近郊の小さな村で産声をあげた。前者は、かの有名な「バイエルンの狂王」ルートヴィヒ2世であり、後者が今回のクイズの主人公である山田一郎(仮名)である。


時は下って1886年バイエルン南部に位置するシュタルンベルク湖で二人の男が溺死体で発見される。この二人のうち「ルートヴィヒ2世」の名はすぐに出てくるのだが、もうひとりは誰だったか? いつもどうしても名前が出てこない。このすぐに名前を忘れられてしまう不運な男の名はベルンハルト・フォン・グッデン。ミュンヘンで研究所を主宰していた傑出した精神科医であった。


この謎の死を遂げたグッデンのもとで研究を続けていた若手研究者のひとりにフランツ・ニッスルという青年がいた。彼は「ニッスル染色」にその名を残すこととなる有能な研究者だったのだが、この1886年の大事件で尊敬する師を失い、しばらく研究ができなくなるほどのショックを受ける。そのため彼はしばしの休養を余儀なくされるのだが、1888年になってフランクフルトにあるてんかん病院で再起をはかることにした。そこで当時28歳のニッスルは、4歳年下の有能な神経病理学者と出会い、すぐに仲良くなり、生涯の親友となった。このニッスルの親友こそが山田一郎(仮名)である。


この山田一郎さんは1903年にミュンヘンの王立精神病院に移ります。実はここで彼のボスであったエミール・クレペリンこそが、山田一郎さんの名前をとある疾患の名(仮に山田病としておきましょう)に刻んだ張本人なのです。ちなみに、当時の最先端を走っていたこの研究室を、「レヴィ小体」に名を残すフリードリッヒ・ハインリヒ・レヴィ(リヒリヒしてる!)や、「クロイツフェルト・ヤコブ病」に名を残すハンス=ゲルハルト・クロイツフェルトとアルフォンス・ヤコブなどの名だたる研究者が訪れたそうです。


さらに時間が下って1912年に山田一郎はフリードリッヒ=ヴィルヘルム大学附属精神病院に院長兼教授として招かれます。これは「ウェルニッケ失語」などで有名なカール・ウェルニッケが20年近くにわたって君臨してきたポストであった。これが最後のヒント。さて、この山田一郎とは一体誰のことでしょうか? 答えは本書の中にあります。ちなみに、この章の本題は、この山田一郎がこの山田病を「発見」した経緯、山田一郎がこの「発見」について学会で報告した際の聴衆の反応、そしてこの疾患が「山田病」と呼ばれるようになった経緯などです。


なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学
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(追記あり)「近いうちに電気に税金をかけられるようになるでしょうね!」


追記(2015/3/28):この記事で『歴史でわかる科学入門』の記述を引用するかたちで紹介したファラデーの逸話ですが、実話ではなく創作であるということをid:machida77さんに教えていただきました。すっかり真に受けてしまい恥ずかしい限りです。machida77さん、ご指摘ありがとうございました。詳しくはmachida77さんのブログに解説があります↓d.hatena.ne.jp
(追記ここまで)


歴史でわかる科学入門 (ヒストリカル・スタディーズ08)
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『歴史でわかる科学入門』を読んだ。本書の帯には「やさしい言葉で書かれた科学の物語」とある。「科学」が「科学」と呼ばれるはるか以前の古代から現代までの科学の流れが全40章、362ページでまとめられている。著者はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授のウィリアム・F・バイナム先生。ところでユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンというのはユニバーシティなのかカレッジなのかそれが問題だ。専攻は医学史とある。


私のポンコツ人生でも一冊の本にまとめようとすればそれなりに大変だと思うのだが、なんと言ってもここでの相手は科学全体である。あれも書きたいこれも書きたい、よく考えたらあれも書くべきだしこれも書くべき、そう言えばあの人もいるしこの人もいるとかどんどん膨らんできそうなものだ。また自意識過剰なサイエンティストからは「俺のあの発見を書かないのはなぜだ」とか「STAPはあります」とか「あの論文本当は私がゴーストライターです」などなどのクレームが寄せられるのがあらかじめ予想されて心が折れてしまいそうなものだが、そこを乗り越えて出版にまでこぎつけたという点だけで充分に評価に値するのではないだろうか。そんな評価いらんか。


それはそれとして、この本が凄いのは、科学の「中身」だけでなく、その中身を明らかにした科学者についても手際よく触れられているからである。例えば第22章「力、場、磁気」は、ファラデーの電磁誘導の法則で知られるマイケル・ファラデーを中心に描かれている。この章では電磁気を発見したエールステッドからバトンを受けたファラデーが、それをマクスウェルに引き継ぐという大きな流れが描かれるのだが、その中で一般家庭に生まれたファラデーが、王立研究所のハンフリー・デイヴィーの助手となり、ついには科学史にその名前を永遠に刻まれる存在にまでなることにもバランスよく触れられている。そして発電機の発明者でもあるファラデーが政治家に電気の実用的な価値は何かと訊かれたときのファラデーの答えがこの記事の標題である。なかなかおもろいやないの。ちなみに、この章で最も印象に残ったシャレオツな表現は「ファラデーは数学を利用しなかった最後の偉大な物理学者だった」でした。


さて、夢中で一気に読み進めたこの本でしたが、読後に浮かんだ疑問をひとつだけ書き散らして終わりたいと思います。本書の第30章「原子の中へ」では、原子の構造に迫った19世紀終盤から20世紀にかけて活躍した物理学者の活躍が描かれている。その中にニュージーランド出身のアーネスト・ラザフォードの実験について説明されているのだが、その部分を少し引用してみる。

ラザフォードと同僚たちはきわめて薄い金属箔にアルファ線をぶつける実験をおこない、その結果を測定した。たいていの場合、アルファ粒子は金属箔を突き抜けたが、たまに跳ね返ってくることがあった。何が起きたのかと考えたときの、ラザフォードの驚きを想像してみてほしい。たとえて言うなら、一枚の紙に向かって重い大砲の弾を発射したつもりが、弾が自分のほうに跳ね返ってきたのである。アルファ粒子が、金属箔を構成する原子がきわめて高い密度になっている部分にぶち当たったためだった。この高密度の部分が原子の「核」だったのである。


この大砲の弾の比喩、読んだ直後はなるほどと感心してしまったのだが、よくよく考えると、なんかおかしいと思い始めた。なんでだろうか。この比喩は、実験の中身を全然説明していないのだ。そうではなくて、この実験でラザフォードがどれくらいびっくりしたのかを説明しているのだ。いいのかそれで。この本の役割は、直感的には理解が難しい実験の中身を、比喩なりなんなりで噛み砕いて解説することだろ。びっくりの度合いとか噛み砕かんでええわ!というイチャモンをつけてこの記事を終わります。とにかくおすすめの一冊です。以下に目次を載せておきます。

第1章 はじまり
第2章 針と数
第3章 原子と空虚
第4章 医学の父―ヒポクラテス
第5章 "知者たちのマエストロ"―アリストテレス
第6章 皇帝の侍医―ガレノス
第7章 イスラムの科学
第8章 暗黒を抜け出て
第9章 賢者の石を探し求めて
第10章 人体の解明
第11章 宇宙の中心はどこ?
第12章 斜塔と望遠鏡―ガリレオ
第13章 めぐりめぐる―ハーヴィー
第14章 知識は力なり―ベーコンとデカルト
第15章 "新しい化学"
第16章 上がった物はかならず……―ニュートン
第17章 ひらめきの火花
第18章 時計じかけの宇宙
第19章 世界に秩序を
第20章 空気と気体
第21章 物質をつくる小さな粒子
第22章 力、場、磁気
第23章 恐竜の発掘
第24章 地球の歴史
第25章 "地上最大のショウ"
第26章 生命の小さな箱
第27章 咳、くしゃみ、病気
第28章 エンジンとエネルギー
第29章 元素を表に
第30章 原子のなかへ
第31章 放射能
第32章 世界を変えた科学者―アインシュタイン
第33章 動く大陸
第34章 遺伝するものとは?
第35章 ヒトはどこから来たのか?
第36章 特効薬
第37章 構成単位
第38章 "生命の書"を解読する―ヒトゲノム計画
第39章 ビッグバン
第40章 デジタル時代の科学

癒し系ゆるふわ儒学のススメ

「寝床で読む『論語』−これが凡人の生きる道」を読んだ。


寝床で読む『論語』―これが凡人の生きる道 (ちくま新書)
山田 史生
筑摩書房
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本書の性格は思ったよりも複雑である。とりあえずは「古典のなかの古典」である「論語」を解説した本、と言えるだろう。「論語」とか「儒教」とかいう単語からわたしなどは何を連想するかというと、まずは寺子屋とかで幼い子どもたちが無理やり素読させられていて、ちょっと行儀が悪いだけで先生からどつき回されるみたいなイメージが浮かぶし(浮かばんか)、また論語が好きな人に限ってすぐに切腹しようとするみたいなイメージも根強くあり(ないか)、やや真面目すぎてとっつきにくい感じがしてしまうわけですが、本書の著者山田史生さんは、まずそこに異を唱えている。まず著者が「論語」についてどのように考えているかが、本書の冒頭部で述べられている。

論語』はまさしく「古典のなかの古典」である。で、わたしもそういうイメージで読みはじめたのだが、そんな堅苦しいもんじゃなくて、ほとんど人生論のノリで読めてしまった。押しも押されもしない儒教の祖であらせられる孔子さまも、おっかない大先生というよりは、えらく気さくな先輩におもえた。


そういうことで本書全体のトーンにも重苦しさはなく、おちゃらけた感じになっている。例えば「はじめに」では次のように書かれている。

 副題に「これが凡人の生きる道」と掲げているとおり、この本の中身はなにからなにまで凡庸である(だって凡人が書いたのだから)。あなたがもし凡人であれば、あなたの考えるようなことが書いてある(から、あえて読む必要はない)。あなたが非凡なひとであれば、読むに値しないたわごとが書いてある(から、もっと読む必要がない)。
 おお。この本はだれにとっても読む必要がないことを、わたしはもう見抜いてしまった(あまり洞察力があるのも考えものである)。ひょっとしたらわたしは凡人じゃないのかもしれない。


こういう調子なのでたしかに気楽に読み進めることができる。のだが、読み進めていくとそれだけの本ではないことに気づく。実はかなり野心的な本なのだ。二重三重にオブラートに包みながら、従来の論語解釈にかなり異を唱えている。例えば「先行其言而後従之」という部分の解釈。ここは従来(例えば金谷治訳版)は「先ずその言を行ない、而る後にこれに従う」と訓読されて、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ」と解釈されているらしい。つまり、「これを言いたい!」ということが何かあるんだとしても、まずそれについてべらべら語るのではなくて、行動でもってその言わんとする事を示しなさいということになる。しかしそれに対して著者は次のように述べる


わたしは「必ず行なえ。其の言は而る後に之に従う」と訓読したい。とりあえずやってみて、説明やら言い訳やらは、そのあとで考えよう、と。

つまり、きちんとした理由が思い浮かばなくても、とりあえずやってみたらいい。理由なんて後付けでついてくるんだから、というわけだ。わたしにはどちらの解釈が「正しい」のか判断がつかないが、随分とニュアンスが変わってくるのが分かるだろう。その他にも「わたしの解釈はすこしちがう。「文る」とは、とりつくろうことではなく、ミエを張ることじゃないだろうか。」(p. 117)とか、「孔子はそんな現実的な話をしているのかなあ。」(p. 183)とか、本書ではこういう例がいくつも出てきて面白い。



このように、なるほどそう言われてみると確かにそういう風にも読めるな、という意味での新鮮な驚きが本書にはある。しかし、本書はそれだけにとどまらない。先の事例のように「なるほどな」と感心する解釈もあるのだが、意訳が過ぎて、「ええっ!その解釈は無理筋でしょ」という事例も出てくるのだ。例えば、「けれども、わたしの好きな孔子は、そんな非情なことはいわない。」(p. 70)とか、「しかし軟弱なわたしとしては、そんな恐ろしい教えとしては読みたくない」(p. 153)とか。また、有名な「子曰く。吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず。」という段についての解釈がそんな感じで面白かった。「もう孔子関係ないやん!」という仕上がりになっていてそれがまた面白かった。



さて、ここまでは論語の解釈に対する異議申立てなのだが、本書ではさらにそれが孔子批判にまで及んでくる部分もある(もちろん「孔子大好き」が基本的なスタンスなんだけど)。例えば第五章では「子曰く。性、相近し。習い、相遠し。子曰く。ただ上知と下愚とは移らず。」という部分が出てくるのだが、これについては次のような展開になる。

 お言葉を返すようだが、凡人の代表として、ここは是が非でも孔子に逆らっておこう。


孔子様も「もうほかの本読んでくれ!」という感じかも知れないが、書き進めていくうちにどんどん興に乗ってくる感じが出ていておすすめの一冊です。「論語」を改めて読みなおしてみたい方などにおすすめです。著者の山田史生さんはちくまプリマー新書でも「孔子」について書いておられるようです。




孔子はこう考えた (ちくまプリマー新書)
山田 史生
筑摩書房
売り上げランキング: 547,698

「現代最高の知性6人」の推薦図書オモロい

『知の逆転』を読んだ。

知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン
NHK出版
売り上げランキング: 1,887

これはサイエンス・ライターの吉成真由美さんが行ったインタビューをまとめたもの。インタビュイーは以下の6名。

  1. ジャレド・ダイアモンド(銃・鉄・病原菌なヒト)
  2. ノーマ・チョムスキーチョムスキーなヒト)
  3. オリバー・サックス(レナードの朝なヒト)
  4. マービン・ミンスキー(人工知能なヒト)
  5. トム・レイトン(コンテンツデリバリーネットワークなヒト)
  6. ジェームズ・ワトソン(DNAなヒト)


本の帯には「現代最高の知性6人」と紹介されていますが、「現代最高レベルの変態6人」の方が実態を反映していると思います(個人の想像です)。それぞれの著書を読んで想像してたイメージとだいぶ違う人から、ああやっぱりこんな感じの人なんだという人まで、本当に様々。著書は面白いけど、話をさせてみると意外に普通な、というかつまらない人とかもいます。インタビュー本なのでさらっと読めます。6名のインタビュイーの専門分野が全然違うので、内容も多岐にわたりますが、6名全員に共通の質問もあって、例えば推薦図書を教えて下さいというのがあるんですが、ここでもそれぞれの個性が出ていて面白かったです。なのでそこだけちょっと紹介します。



第1章はジャレド・ダイアモンド。推薦図書は以下の様なラインナップ。

なんとなくそれっぽい気がします。


第2章はノーマ・チョムスキー。「推薦図書は?」という問に対する答えが以下の引用。

よくそのように質問されるのですが、たいへんありがたいことではあるけれど、歯がゆくもある。つまり、どう答えていいかわからないからです。自分の子供や孫たちに対してさえ、そのようなリストを作れないくらいですから、ましてや私の知らない人に対しては、さらに難しくなります。一般回答というものはないわけです。各個人の興味、目的、コミットの度合い、熱意の度合いなど、千差万別ですから。
 一番いいのは、自分で探して、驚くようなこと、予想もしなかったような本を発見するということでしょう。リストを提供することは、その予想外の驚きや探し当てる喜びというものを、多少なりとも奪うことにもなる。自分で発見する喜びというのは、指示に従った場合よりも、はるかにエキサイティングで価値の高いものです。


真面目か!
でも仰っていることは分かる気がします。いい意味でバカ真面目。




第3章はオリバー・サックス。本書では、今は亡きフランシス・クリックが、サックスを見つけると隣に座らせて「ストーリーをきかせてくれ」とおねだりしていたというエピソードも紹介されていました。サックスの推薦図書は以下のとおり。こちらもそれっぽい感じですが、『チューリングの大聖堂』とかはやや意外な感じも。そもそもそれっぽいってなんだ。

不思議宇宙のトムキンス
ジョージ ガモフ ラッセル スタナード
白揚社
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第4章はマービン・ミンスキー。小説はどれも一緒だから読まないらしい! 読むのはもっぱらSF。でも子供の頃はSFや科学物をたくさん読んでいたそうで、よく読んでいたのが以下の人達の著作だそうです。



第5章はトム・レイトン。この方のことは存じ上げなかったのですが、すごく面白い人でした。推薦図書を問われた際の回答も面白かった

推薦図書ですか!? 数学の本です!(笑)私が読む本ですか? ジャンク小説です!!

不真面目か!
これにはインタビュアーの方も参ったのか、「誰か好きなSF作家はいますか?」と質問を変えていたのがさらに笑えました。その問いに対しては、アイザック・アシモフとクリストファー・バックリーの二名を挙げていました。クリストファー・バックリーさんという方はわたしは存じ上げませんでしたが、何作か映画化もされている有名な風刺小説作家だそうです。

ニコチン・ウォーズ (創元推理文庫)
クリストファー・バックリー
東京創元社
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第6章はジェームズ・ワトソン。居酒屋とかで一緒に飲むと色んな種類の笑いを取ってそうな感じの人。どんな感じや。このインタビューでも、いまだにロザリンド・フランクリンを一刀両断していて逆に清々しかったです。フランシス・クリックについて語る場面もあって「私はフランシスの謙虚でないところが気に入っていたんです。」という名言も残しています。謙虚でない人から見ても謙虚でないと見えたということでしょうか。キング・オブ・キングス的な。分かりません。推薦図書も『二重らせん』と『種の起源』の二冊ということで、完全にその場のノリで答えている感じが逆に清々しかったです。