『ヒトはなぜ病気になるのか』読んだ

『ヒトはなぜ病気になるのか』を正月に読んだのでご紹介。


ヒトはなぜ病気になるのか (ウェッジ選書)ヒトはなぜ病気になるのか (ウェッジ選書)
長谷川 眞理子

ウェッジ
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この『ヒトはなぜ病気になるのか』はウェッジ選書の一冊として出版されているのですが、このウェッジ選書というのはそもそもなんだろうか? そこから気になっちゃったのでちょっと調べてみると、JR東海グループの出版社だそうで。そうかあのWEDGEか! ということでひとつスッキリしました。


この本は「進化医学、ダーウィン医学と呼ばれる新しい分野」について平易に書かれた解説書という感じの本です。進化医学というのは、ソチ・オリンピックや都知事選ほどは話題になっていませんが、大阪都構想くらいの盛り上がりを見せている分野です。例えが分かりにくいですが、他意はございません。


進化医学がどういうものかというと「ヒトという動物の進化の歴史を見ながら、ヒトと病気というやっかいなものとの関係を探っていく」学問だそうです。そう言われてもちょっとまだ実態がつかみづらいと思いますが、例えば、本書で解説されている疾患の中では椎間板ヘルニアが分かりやすいかもしれません。都知事選に出馬するくらいの方ならご存知かもしれませんが、人類は直立二足歩行をするイカした哺乳類です。もうすぐソチ・オリンピックですが真央ちゃんがああしてぴょんこらぴょんこらジャンプできるのも直立二足歩行という移動様式を人類が採用したお陰でしょう。トリプルアクセルに挑戦しようとして佐藤コーチに止められるシロクマとかいないでしょ。脱線してみました。


さて、四足歩行する場合と直立二足歩行する場合を比較すると、背骨にかかる重力の作用がまったくことなります。まったく異なるので180度違うと書きそうになりましたが、実際には90度違っていました。ややこしいですね。直立二足歩行では、「背骨が地面に対して垂直に伸び」ています。背骨(脊柱)というのは、椎骨と呼ばれる小さな骨が連なってできているのは、東京オリンピックを目指す少年少女達もよく知っていると思います。知らなかったという人は「椎骨最高!」でググってみてください。そして、その椎骨と椎骨の間に挟まれて大変な思いをしながら我々を支えてくれているのが椎間板です。事情があって厳密な話はできないのですが、大まかに言って、この椎間板に過度な負担がかかって椎間板がプシャーってなってはみ出ちゃって、周りにある神経を圧迫してイテテとなるのが椎間板ヘルニアの病態です。


で、しつこいですが、この過度な負担がかかるというのは、人類の背骨が地面に対して垂直に伸びてて、重力の作用が椎間板がプシャーってなりやすいようになっていることが関係しているというわけです。確かにヘルニアのライオンとかあまり聞きません。大西ライオンはひょっとするとヘルニアかもしれませんが、そてはまた別の話だと思います。


この椎間板ヘルニアという疾患を進化生物学的視点から眺めてみると、「進化がつねになんらかの妥協の産物であることからくる不具合」ということがわかります。つまり、進化というものは、いったんすべてをリセットしてゼロからすべてを作りかえることで生じるわけではなくて、「それ以前に存在したものをもとに、こっちを少し、あっちを少しと変えて出来上が」るという連続性を大原則としているわけです。直立二足歩行というものに適した構造をゼロから組み立てることができれば人類もヘルニアレスな生物になっていたのかもしれませんが、実際には四足歩行をするご先祖様の基本的形態を引き継いだまま直立二足歩行に移行せざるをえなかったわけでして、そのあたりの事情は察していただければと思います。


さて、本書の構成です。

  • 第1章 病気はなぜあるか?

イントロ的な部分です。進化とは何かというとこから説きおこすのでまあ大変。本書全体で約200ページありますが、第1章だけで約40ページが費やされています。ちょっと詳しい方にはまどろっこしいかもしれませんが、丁寧に解説されていたので私には分かりやすかったです。

  • 第2章 直立二足歩行と進化の舞台

人類の進化の歴史と病気との関係を、直立二足歩行の採用という部分に特に注目して解説しています。鬱蒼とした森林での生活を捨てて日差しの強いサバンナに進出したことでエクリン腺が!エクリン腺が!というような話とかも出てきますので、サバンナの八木さんにも是非読んでみてほしいです。椎間板ヘルニアの話もここで出ていました。ブラジルのみなさーん、ヘルニアですか? みたいなイメージでしょうか。分かりません。

農耕開始に伴う栄養摂取パターンの変化と病気との関係が扱われています。

  • 第4章 感染症との絶えざる闘い

感染症の話です。段々説明が適当になっている気がするかもしれませんが、気にしないで下さい。

  • 第5章 妊娠、出産、成長、老化

個人的にはここが一番面白かったです。この章で分娩のシグナルの話が出てきます。つまり、どういう条件が整うと子宮の外に出ることになるのかという問題です。詳しくは本書に直接当たっていただきたいのですが、どうもこれには胎児側の栄養要求量と母親側の栄養供給量のバランスが関係していそうだというのです。


この第5章ではこれ以外にも「出産に適した環境」という話題が出ていて、グアテマラのドゥーラと呼ばれる習慣が紹介されていました。ドゥーラというのは、これから出産する産婦に付き添う人のことなんだそうですが、助産師のような出産に関わる専門職ではありません。それどころか産婦と親しい人である必要もないのだそうです。「ただ、産婦といっしょにいて話をし、そばにいて激励し、安心させる役目をおった人間」なのだそうです。このドゥーラがいる場合といない場合での、分娩や母子関係への影響を調べた研究結果が紹介されていたのですが、これにはぶったまげました。興味ある方はどうぞ。

『20歳のときに知っておきたかったこと』読んだ

遅ればせながら『20歳のときに知っておきたかったこと』を読んでみました。70歳位になるまで我慢しようかなとも思いましたが、我慢できずに読んでしまいました。

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
ティナ・シーリグ,Tina Seelig,高遠 裕子

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本書の著者紹介欄を見てみると、著者のTina Seeligさんは、スタンフォード大学アントレプレナー・センター、スタンフォード・テクノロジー・ベンチャー・プログラムのエグゼクティブ・ディレクターという一見するとインチキくさそうな肩書きになっていますが、想像するに大変有能な方なのでしょう。講演している彼女の姿をyoutubeで拝見しましたが、英語の堪能な高畑淳子さんという印象でした。個人の感想です。英語が苦手なので何を言っているのかまったく分かりませんでしたが、途中で笑いも起きていたのでひょっとするとダジャレとかも凄く上手いのかもしれません。個人の感想です。
http://www.youtube.com/watch?v=VVgIX0s1wY8


本書の内容を私が説明するのも僭越な気がしますが、暴力的に要約すると、手を変え品を変え「自分の殻を破れよオラ」と言っているような気がしました。自分だけだと頼りないので著者自身の言葉を借りると次のような説明になります。


p. 215

この本の物語で伝えたかったのは、快適な場所から離れ、失敗することをいとわず、不可能なことなどないと呑んでかかり、輝くためにあらゆるチャンスを活かすようにすれば、限りない可能性が広がる、ということでした。もちろん、こうした行動は、人生に混乱をもたらし、不安定にするものです。でも、それと同時に、自分では想像もできなかった場所に連れて行ってくれ、問題がじつはチャンスなのだと気づけるレンズを与えてくれます。何よりも、問題は解決できるのだという自信を与えてくれます。


よく考えると飲み屋でくだをまいているおじさんでも、同じようなことは言ってそうな気もしないでもないですが、なにせ相手はスタンフォードの先生ですからね。本書を読み進めていくと、「快適な場所から離れ」たことによって「自分では想像もできなかった場所に」たどり着いた数々の具体例が提示してあって、確かにテンションが上ります。飲み屋のおじさんとはそこが違うような気がします。


そう考えると、飲み屋で知り合った団塊の世代のおじさんに激励されるのはかなわんけれども、厳しい日常の中でなんらかの刺激がほしいという若者向きの本かもしれません。本書の註に本書の内容に関連する動画がたくさん紹介してありました。多くはSTVP(Stanford Technology Venture Program)が提供している「ecorner」というサイトで見ることができます。本書によると「起業家精神、リーダーシップ、イノベーションに関するビデオ、ポッドキャストが次々に追加されている」のだそうです。


それからこの註には、「ecorner」で視聴できるもの以外にも面白そうな事例が紹介されていたので以下にいくつかのせておきます。


OneRedPaperClip ABC 20/20 - YouTube
一個の赤いペーパークリップから物々交換で一軒の家を手に入れるお話です。これは第一章で紹介されています。

  • 分子調理法で有名なシカゴのレストランMOTO


Chicago Molecular Gastronomy Restaurant Moto ...
MOTOの事例は第三章で出てきます。

  • Awareness test


Test Your Awareness: Do The Test - YouTube
「白い服のチームが何回パスするか数えて下さい」っていうやつですね。これは第七章で紹介されていて、身近に凄く面白いことがあるのに注意深く見ているようでもそれに気付かないものだという文脈で出てきます。

  • リンダ・ガスの絵

http://www.lindagass.com/
彼女の事例は第八章で紹介されていて、「一度にふたつ以上の望みをかなえる方法はたくさんあります」という話題の中で紹介されていました。




とにかく、面白い逸話満載でしたが、私が一番共感した小話を引用しておきます。どういう文脈でこの小話が紹介されていたのかは直接本書にあたってみてください。

戦闘機のパイロットの候補生ふたりが、互いに教官から受けた指示を披露し合いました。ひとりが、「飛行の際のルールを一〇〇〇個習った」というのに対して、もうひとりは、「わたしが教えられたのは三つだけだ」と答えました。一〇〇〇個のパイロットは、自分の選択肢が多いのだと内心喜んだのですが、三個の方はこう言いました。「してはいけないことを三つ教えられたんだ。あとは自分次第だそうだ」。

それでは今年もよろしくお願いします。

西郷隆盛  死にたがる大巨人

西郷隆盛と幕末維新の政局 体調不良問題から見た薩長同盟・征韓論争』を読んだ。面白かった。


西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書)西郷隆盛と幕末維新の政局: 体調不良を視野に入れて (大阪経済大学日本経済史研究所研究叢書)
家近 良樹

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西郷隆盛像というものがある。上野の西郷像ではないよ。西郷にまつわるイメージという意味での西郷像である。著者の家近さんは「ステレオタイプ化された西郷隆盛像」を次のように描く。

豪放磊落で小事に拘泥せず、寡黙でたくましい肉体と精神をあわせ持ち、かつ茫漠・茫洋とした風格を漂わせ、廉潔で決断力に富む大人物としての西郷隆盛像である。


確かに西郷どんと言えば私もそういうイメージを抱きます。もう少し具体的に言うとCMに出たとしても「チョコモナカジャーンボ!」とか歌わなそうな感じです。しかし、著者は、こうした西郷像をバッサバッサと辻斬りにしていくので痛快です。

西郷に関しては、研究者の中にも大変包容力があり、東洋豪傑風の清濁併せ呑む人物であったとの評があるが、これは西郷という人物を理解していない評である。


われわれが西郷に付与する「仁者」的な人物像というのは、あくまでも「後年のこと」であり、しかも「その対象は著しく限られる」という。本書が追う「西郷のありのままの姿」というのは非常に興味深い。ちなみに、「西郷のありのままの姿」と聞いて西郷の全裸姿を思い浮かべてしまった方もおられるかもしれないが、おそらくそれは「ありのままの姿」ではなく、「産まれたままの姿」であろう。全裸の西郷どんを思い浮かべてしまった方は充分に反省して欲しい。


話が逸れた。


それでは、ありのままの西郷とはどのような人物だったのか。西郷という男は実は「もともとストレスをためやすい個性・資質の持ち主であったこと」が第二章の前半で説明されている。詳細については本書に直接あたっていただきたいのだが、そこで描かれる西郷は、相手の心理をこまかく分析して色々と策を巡らすのだ実際に蓋を開けてみるとその目論見があっさり外れてしまうという「馬鹿な考え休むに似たりボーイ」的な一面も持ち合わせていることがわかって面白い。そして、このストレスを受けやすいという「本来」の西郷の個性・資質というものが、彼の「極度の体調不良状態」と少なからず関係しているのではないかというのが著者の主張のポイントのひとつとなる。


西郷の資質に加えて、彼を取り巻く環境が尋常ならざるほどにストレスフルであったことも丁寧に解説されている。これも詳細は本書に譲りたいと思うが、やはり大嫌いな久光に仕えなければならない星のもとに産まれたことが西郷の最大の不幸であったということになろうか。


また、西郷の資質という意味では、やはり西郷の死との距離感というのも注目に値しようか。本書においては次のような記述がある。

西郷の生涯を振り返った時、まず目に付くのは、彼の生涯が死の臭いに満ちていることである。ただし、それは強烈な臭いではない。というか、有体に書けば、西郷には生と死の境が元々それほどハッキリしていないような所がある。


さらに本書が面白いのは、西郷が死を意識したであろうイベントを丹念に追って行くことで、西郷の行動原理と言ってもいいようなものを炙り出している点にある。その行動原理とは「あえて死地におもむくことで、問題の根本的な解決を図るという行動パターン」である。そして、この行動原理をフリッツ・フォン・エリックのアイアンクローでギューっと絞り上げて濃厚なエッセンスだけにしたものが、いわゆる征韓論争での朝鮮使節志願時の西郷の一連の主張に現れているのだという。さらに重要な点は、この行動パターンは何も明治六年に突然出てきたものではなく、西郷の人生の節目節目に繰り返し表出するパターンであることが明らかにされている点である。


西郷の人物像、死生観ときて、本書のメインディッシュである西郷の体調不良問題に移ろう。ちなみに、本題に入ったかと思うといきなり脱線して恐縮だが、西郷の健康問題というと、中学か高校の歴史の先生が「西郷さんは、病気で金玉が腫れ上がってしまったせいで馬に乗ることができなかった」と言っていたことを思い出してしまうのだが、本書にその話は出てこなかった。


話が逸れた。


さて、最初に紹介した西郷の人物像とも関連するのだが、西郷どんと言うとエネルギーの塊のようなイメージがあって、病弱な印象はあまりないのではないだろうか。ところが、本書は「西郷が意外なほど病気がちであったという事実に着目」している。これについても詳細は読んでのお楽しみにしておきたいと思うが、本書で紹介されていた「病欠」の事例をざっといくつかあげてみる。


1855年 消化器系の異常により数十回もトイレに駆け込む。
1858年 入水自殺を試みる。奄美大島で流罪人同様の扱い。この間体調不良。
1862年 徳之島、沖永良部島での流島生活。過酷な環境でヘロヘロに。1864年に赦免。
1865年 禁門の変の後に、鹿児島に戻ると病に伏せる。
後藤象二郎との薩土盟約に関する重要な会合を体調不良で欠席。
1868年 体調不良のため北越出征軍の司令官として新潟に向かう日程が延期。
1869年 これまでの下痢に加えて下血を訴えるようになる。
1873年 明治天皇が西郷の体調を心配して自らの侍医を西郷のもとに遣わす。
    引き続く体調不良により朝鮮使節派遣に関する閣議などを欠席。


これだけでも充分に意外な感があるのだが、本書はさらに踏み込んで、西郷の極度の体調不良がもたらした心身の変化が、明治六年の征韓論政変において彼が異常なほどの熱意で朝鮮使節就任にこだわった背景にあると主張している。


確かに、本書で提示された資料に基づいて当時の西郷の行動が常軌を逸するものであったと主張することについては一定の説得力があるのは否定できないとも思うのだが、ここで悩ましい点もある。もしこの時の西郷が「著しく身心のバランスを欠く状態」にあったのが確かだとして、この時の行動パターンが年来のそれから大きく逸脱してものであったとしたら分かりやすい。しかしながら、西郷が明治六年に示した行動は、(著者自身が示してみせたように) 西郷が生涯に渡って示していた行動原理からいささかも逸脱していなかったのだ。となると、西郷があの段階で体調不良によって正常な判断ができない状態にあったのかどうかは判断を下すのは難しいという気もする。


さて、それはそれとして、本書の「はじめに」の中の「これまで日本の歴史があまりにも健常者中心の視点で叙述されてきた」という指摘はなるほどと頷かざるをえない。西郷の体調不良問題も面白かったのだが、第四章で少しだけ出てくる島津久光の体調不良問題の方がむしろ歴史的には重要な気がしないでもない。とにかく、「健常者中心の視点」から一歩抜け出ると本当に様々な歴史に新しい光が当てられることになるのではないかとワクワクしてくる。


著者の家近さんが、本書のテーマである体調不良問題に気づいたのは、ご自身が体調を崩されたのがきっかけだったという。あとがきによると、現代医学の力では根治が難しい大腸の疾患だということで、一ファンとしては心配でならない。せめて病状がコントロール可能な状態が維持されて、家近さんのお仕事が今後も進められて我々を楽しませてくれることを願っています。

幕末落涙史奇譚 メソメソする公家と号泣する老中

孝明天皇と「一会桑」 幕末・維新の新視点』を読んだ。





明治維新から約150年の月日が経過して今がある。150年も経ったと見るか、150年しか経っていないと見るか。現在の社会と150年前の社会とがどれくらい類似しているのか。もう少し欲を出すと、ある事件を客観的に記述できたとして、その記述を読んでこみあげてくる感情は、現在の我々それと150年前の人々のそれとでどれくらい異なっているのか。そんなことを知りたいと思うことがある。


孝明天皇と「一会桑」 』の第三章で紹介されていたあるエピソードを読んでハッとした。時は幕末期の日本。鎖国体制下で徳川の平和を謳歌していたわが国も、ペリーをはじめとして強面のお兄さん達が日本の周りをウロウロするようになると、途端にパニックに陥る。それまで何から何まで幕府主導で行ってきたのだったが、さすがにペリー来航直後から、幕府は天皇に対してある要請をするようになったという。さて、この時幕府が何を天皇にお願いしたのか、パッと思いつくだろうか。通常の歴史教育を受けてきた人で、この答えがパッと思い浮かぶ人はものすごく少ないのではないかという気がしたのだがどうだろう。私はこのエピソードを読んで、150年前の人々の心情を理解するのは相当大変だなと改めて思った。『孝明天皇と「一会桑」 』は、幕末から明治維新までの歴史、「敗者」の視点も取り込んだ歴史、を描こうとしている。そういう意味では先のエピソードは本筋とは関係ないのだが、本筋と関係のない小話が面白い本は本筋も面白いという法則に、見事に合致したエピソードだと思ったこともあってあえて紹介してみた。


気を取り直して本書の概要を説明すると、本書は、明治維新期に「徳川幕府による支配が、いかにして打倒されたのかという問題」に焦点を当てている。著者の家近良樹さんの主張は「明治以後の日本人のおそらく誰もが想像してきたほど、薩長両藩の「倒幕芝居」における役割は、圧倒的なものではなかったということにつきる」のだというという。そして、こうした「歪められた」歴史認識(=西南雄藩討幕派史観)が成立したのは「薩長などやがて藩閥政治を築く側の政治勢力」が自らの国家運営に都合が良いように維新の過程に「不当に覆いをかけ」たためだと主張しています。この「覆い」を取り払い、「薩長の維新」を乗り越えて総合的に明治維新を見つめるというのが本書の狙いなわけですが、そのトップバッター(80年代のオークランド・アスレチックスで言うところのリッキー・ヘンダーソンに当たる)が孝明天皇ということになります。


孝明天皇については、主役の綾瀬はるかの「やられたらやり返す!視聴率真っ平清盛の倍返しだ!」という決め台詞でお馴染みの大河ドラマ「八重の桜」をご覧になっている方であるならば、まだ記憶に新しいところでしょう。灰皿でテキーラを飲まさないほうの市川染五郎さんが演じていました。明治天皇のお父さんです。市川染五郎明治天皇のお父さんではなく、松たか子さんのお兄さんです。ややこしいですね。この強烈な攘夷意思を示す個性的な天皇の出現に幕府が右往左往する様子が、幕臣や公家たちの手紙や報告書などをもとにして生々しく描かれている。


例えば、ペリー来航があって、1854年にはアメリカの要望に沿って日米和親条約が結ばれますが、アメリカはイケイケドンドンで通商条約締結を要求してきます。これに対して、江戸の幕閣は開国やむなしと判断するわけですが、孝明天皇は通商条約拒絶の意思を示します。そこで幕府としては老中堀田正睦が天皇を説得するために京都に乗り込みます。本書では、堀田が江戸に送った報告書にもとづいて、天皇側近の万里小路正房及び裏松恭光と、堀田正睦との会談の模様が紹介されているのだがこれがまた凄い。ある意味凄い。それによると、堀田がそこで直面したのは「条理の通用しない世界」だったという。

万里小路正房と裏松恭光の両名は、孝明天皇の近況が、眠れず、食事も喉を通らないなど、ただならないことを伝えたあと、堀田によれば、「理屈も何も差し置き、ただひたすら落涙」して、(中略)朝廷の要求(中略)を受諾することを求めた。


「官僚は公家の涙に弱い」という格言が朝廷に伝わっていたのかどうかは不明であるが、まさかの泣き落としである。しかし、幕末版「涙のリクエスト」はこれでは終わらない。


通商条約締結の説得を試みる堀田に対して、朝廷側は和親条約の線に立ち戻ってもう一度最初から協議せよとの一方的な通告を行おうとするのだが、堀田はそれには抵抗し、その勅書の受け取りを拒否する。するとその翌々日に改めて朝廷から使者がきて朝廷側の意向を突きつけるのだが、そこには驚愕の内容が含まれていたという。通商条約締結に関して諸大名の意見を聴取した上で、なお天皇が決断をくだせない場合は、伊勢神宮のおみくじに頼る(神慮を伺う)こともありうるというのだ。それに対する堀田の反応が本書で紹介されている。公家の泣き落し作戦に触発されたかどうかは定かではないが堀田の反撃(?)も意外なものであった。

これには、さすがに堀田も「大いに驚き」、もし御みくじに「戦」と出たら大変なことになると、「神慮御伺の処」は、やめていただきたいと懇願する。なお、長州藩吉田稔麿が仕入れた情報によると、この時、堀田は関白の面前で泣いたという。

欧陽菲菲なら「泣くな男だろ!」と一喝するレベルであるが、幸か不幸か欧陽菲菲はこの時まだ誕生していない。


こうしたエピソードも本書の本筋からは脱線しているのだろうが、当時の生々しいやり取りが想像できるので非常に面白い。本書にはこの手のエピソードが粉段に盛り込まれている。孝明天皇に関して言えば、自身について「私もかねて御承知の通りの愚昧短才の質」と評している手紙が紹介されていたりする。本書の前半では、そうした「肉声」も交えながら、孝明天皇の動向を軸にして、海外列強の要求に対する対応をめぐる朝廷と幕府との綱引きが概説される。


そして、本書の後半では「一会桑政権」の成立と崩壊の過程を軸にして、幕府の崩壊の過程が描かれる。この「一会桑」というのは、一橋慶喜徳川慶喜)の「一」、松平容保が藩主であった会津藩の「会」、容保の実弟である定敬が藩主をつとめた桑名藩の「桑」を合わせたものであります。この一会桑政権は、孝明天皇の意を受けて、あるいはご威光を背にして、幕末の政局を主導していきます。その詳細については本書を直接参照していただきたいのですが、特に本書の後半を読み終えると、明治維新を「複眼的」ないしは「総合的」に描くことの重要性を説く著者の家近さんの意図が理解できるような気がしてくる。少なくとも、次の箇所を読むだけで「薩長vs幕府」という構図では単純に過ぎるということが理解できる。

こうした一会桑三者のあり方は、孝明天皇の度重なる督促にもかかわらず、攘夷を事実上拒否し、なし崩し的に開国路線を推し進めようとした江戸の老中や諸役人との対立をやがて招くことにもなる。また、鎖国体制の打破を決意した越前藩や薩摩藩などの雄藩との衝突も、深刻なものとする。そして、公然と攘夷主義を掲げて中央政界に乗りだしてきた長州藩とはライバル的な関係となる。


幕府側には、少なくとも江戸にいる幕閣と京都にいる一会桑勢力との対立がある。薩摩に注目すれば、本書で「在京薩藩指導者」と呼ばれる西郷や大久保などを中心とした強硬路線を主張するグループと、それに反発する勢力との路線対立がある。こうした複数の視点を束ねて丁寧に幕末史を追うことを通じて、例えば「王政復古のクーデターは武力討幕を意図したものではない」という結論が導かれる。ここが本書の肝のひとつであろうか。


では西郷らがあえてクーデター方式にこだわった狙いは何なのか。その問いに対する答えも本書には用意されている。そして、実はその狙いがうまくかわされることで、西郷や大久保らは窮地に陥るのだが、そこで「窮鼠猫をかむ」思いで反撃に転じた結果、ギリギリのところで倒幕が達成されたというのが本書が描き出す幕末史である。この幕末期の最終段階での攻防は非常にスリリングであり思わず引き込まれる。そして一気に読み終えてみると、著者の「武力倒幕派なる言葉を使って幕末史を説明する必要はない(対幕強硬派もしくは抗幕派といった言葉で十分だ)」という主張もすっと理解できるような気がしてくる。


しかし、これも本書の筋から脱線してしまうかもしれないが、本書を読み終えてみると、改めて歴史における「場」の意義について考えざるをえない。江戸という場を中心に構築された権力構造を打破する勢力、例えば薩長土肥などが典型であるが、その多くは権力の中心から空間的に大きく隔てられた場に位置していた。これは権力の監視が行き届かない場所でのみ新しい力が養われるということを示唆しているのだろうか。そう考えると、ITの中心地であるシリコンバレーから遠く離れた日本で、しかもコンクリートジャングル大東京からも遥か遠く離れた京都に拠点を構えるはてなが、GoogleFacebookヘゲモニーを打破する勢力となるという未来が示唆されているという結論に落ち着かざるを得ない。


このように、権力から遠ざかることの意味を考える一方で、同じ場を共有することの意義ということも改めて考えさせられる。孝明天皇をはじめとして、一会桑という三者、そして本書で「在京薩藩指導者」と呼ばれる西郷や大久保といった大政治家が京都という場に集結しそれぞれがブイブイ言わせていたことで歴史があっちに行きそうにこっちに行きそうになったりしたことが本書を読むとよく分かる。遠くにいたことで力を蓄え、近くにいたことで急所を的確に捉えることが出来たのだとすると、チャンスを掴むためにはどういう立ち位置が望ましいのか。お前はそんなことまで考えなくてよろしい。はい分かりました。



以下、ヘボヘボ幕末年表


1846年 孝明天皇即位
1853年 ペリー来航
1854年 日米和親条約
1858年 日米修好通商条約。安政の大獄
1860年 桜田門外の変
1862年 松平容保京都守護職就任
1866年 薩長同盟
1867年 徳川慶喜将軍就任。孝明天皇崩御。大政奉還
1868年 王政復古の大号令戊辰戦争

長州の薩摩disがエグすぎてドン引き 『未完の明治維新』読んだ

『未完の明治維新』という本を読んだ。



本書は、元治元年(1864)から明治十三年(1880)に至る16年間の幕末・明治史を分析したものである。読み終えてみて、これだけのことがわずか16年の間に生じたのだということに改めて驚かされる。


元治元年というのは、西郷隆盛勝海舟の初めての会談があった年である。第一章「明治維新の基本構想」の冒頭は、この会談の場面から始まるが、このひと月前にイギリス、フランス、アメリカ、オランダの連合艦隊による下関砲撃事件が起きている。八重の桜を見ていると倒幕か佐幕かというドメスティックな対立が前面に出ているが、背景には国家の危機、それも差し迫った「今そこにある危機」にどのように対応するかという問題があった。西郷が大阪にいた勝のもとを訪ねたのは、この危機の打開策を求めてのことだったという。ここで西郷は勝に心服するわけだが、この話し合いのキーワードとなったのが、佐久間象山の「強兵論」、横井小楠の「富国論」、大久保忠寛らの「公議会論」などであった。


本書は明治維新期に掲げられた4つの政策目標を軸にして、激しく揺れ動いた革命期の政治を俯瞰している。その4つの目標のうちの3つは先の西郷と勝の会談で既に語られていた「強兵」「富国」「議会設立」であり、4つ目が「憲法制定」である。そして本書では、それぞれの政策目標を代表する人物として、西郷隆盛大久保利通板垣退助木戸孝允を挙げている。


本書を読んで面白かったのは、この4つの立場を代表する4人の人物の主たる目標が一致していなかったという事実の指摘だけでなく、それぞれの連携と対立の距離感も整理されている点であった。細かい議論は本書を直接あたっていただくしかないのだが、「大久保と板垣、西郷と木戸とは政策的な共通点がなく、人間的にも仲がよくなかった」ということになるという。西郷から見ると大久保とは富国強兵という方向で連携可能であるし、板垣とは対外強硬路線という接点があるが、木戸とは大きな距離があったという。本書には西南戦争で西郷が劣勢に立たされていた時期に、木戸派の青木周蔵が同じく木戸派の伊藤博文に当てた手紙が紹介されている(青木は当時ドイツ公使としてベルリンに滞在中)。孫引きになって申し訳ないが引用する。

 時に『バル』的芋賊らなお悔悟降伏の模様これなく、日隈 [日南、大隈] 辺陲において引続き抗戦罷り在り候由、・・・勿論賊徒降伏の日は、いわゆる寛大の文字御聴入れこれなき事と存じ候えども、到底一日も早く膺懲の功行届かせられ、(後略)


著者の坂野さんもこれについては次のように述べている。

これまでも西郷派を「芋」と表現した史料はいくつか紹介してきたが、"バーバリアン的芋賊"は初めてである。木戸派は西郷派をそこまで憎み、かつ軽蔑していたのであろう。

木戸孝允も手紙の中で、薩摩のことを芋、土佐のことを鰹節、安芸のことを薬缶と呼ぶなど言いたい放題。こうした史料から我々がまず学ぶべきなのは、読んだ手紙はすぐに捨てなくてはならないということだ。スキャンしてエバーノートで保存などもってのほかである。


それはさておき、本書は、こうした連携と対立の相互作用の中で各派が浮沈を繰り返しながら、明治維新が作り上げられていく過程を追う。本書の分析の対象の最終年は1880年(明治十三年)なのだが、ついにこの年に「武士の革命」としての明治維新が終焉したというのが著者の見解である。この観点から眺めてみると、明治維新の英雄達が目指した「立憲」や「議会」の実態がいかなるものであったかをより良く理解でき、武士の革命の到達点とその限界がより明瞭になるように思った。


こうして本書を読み進めながら怒涛の16年間を駆け足でたどった上で、「エピローグ」にある次の記述にたどり着くとなんとも名状しがたい感情が湧き上がる。

もし、西郷、大久保、木戸、板垣らが「武士の革命」の「同志」でなかったならば、彼らは次の一歩について相互にもっと慎重だったに違いない。はっきり敵とわかっていた徳川慶喜が相手だったならば、明治六年(一八七三)十月のいわゆる「征韓論争」に敗れたからといって、西郷は兵を率いて鹿児島に引揚げたりはしなかったろう。(中略)敵との間では忍耐強く、かつ合理的に振る舞う者も、同士の間では往々にして憤怒に委せた行動を取りがちなのである。


政治というのは誠に難しいものみたいです。



これ以外にも、「征台論者」であった西郷が征韓論の代表者のようにみなされるようになった経緯についても論じられていて面白かった。私には板垣退助のきなくささを感じる話しに思われたが、関心のある方は直接本書をあたっていただきたい。とにかく手紙などの私的なやり取りを中心に描き出される人物像が新鮮で驚きの多い一冊だった。手紙こわい。

人の能力をつぶしてしまうということ

先日、ウイニーの開発者である金子勇さんが亡くなられた。恥ずかしい話だが、関連の記事をいくつか読んで、初めて知ったことが多かった。かなりの部分誤解していたことを思い知らされた。


下野新聞のサイトには、金子さんのインタビュー記事(2012年3月)が掲載されていて、そこでは金子さん自身が事件について次のように語っていてドキッとしてしまった。記事はこちら→「Winny 開発者・金子勇さん 「変な制約になっては、と、頑張ろうと思った

-当時の報道は?


「どちらかと言うと、マスコミ報道も警察から情報リークを受けて、世論を誘導するようなノリがあったので、あれは好きじゃなかった」


(中略)


-世論はどう見えた?


「初めはよく伝わっていない、と感じた。特に一般の人は何が起きているか分からない。『警察が捕まえたんだから、悪いんだろう』と、本質的なところが見えなくなった。当時パソコンは使われるようになっていたが、ネットワーク自体は一般化していなかった」


先にも触れたように、私の認識もまさにこのような感じであった。そして実は無罪になったということすらはっきりとは覚えていなかった。しかし、記事を読んでいただくと分かるけれども、そんな「冷たい」世間を皮肉るわけでも、激しい言葉を連ねるわけでもなく、むしろ淡々と当時を振り返っておられて逆に驚かされる。記事には屈託なく笑う金子さんの姿が残されていて非常に切ない。2004年に逮捕起訴されて、無罪確定が2011年12月。無罪確定からわずか一年半あまりでの死去ということになる。





ちょっと唐突と思われるかもしれないけれども、こういうニュースに接するたびにアントワーヌ・ラヴォアジエのことを想う。あの「質量保存の法則」のラヴォアジエだ。彼はフランス革命期に革命政府によって断頭台に送られている。革命政府に目をつけられたのは、彼が徴税請負人の仕事に携わっていたためである。徴税請負人というのは、当時の庶民からは「王の手先」とみなされていて、ひどく憎まれていたため処罰の対象となった。ラヴォアジエの場合、奥さんの父親が徴税請負人長官を務めていたということもあったのであろう、義父とともに革命政府によって逮捕され、コンコルド広場であっさりと処刑されている。


同時代を生きた偉大な数学者で、マリー・アントワネットの家庭教師もつとめたラグランジュは、彼の死に接して「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」と語ったという。


さて、こちらも今は亡きスティーブン・J・グールドの『マラケシュの贋化石』には、ラヴォアジエの最後の手紙が紹介されている。自らの死を悟った上で語られたたことばである。

私はもうずいぶん長く生きました。しかもとても幸せな人生だった。私の死はいくばくかの悲しみをもって記憶されるだろうし、おそらくは名声も残るものと思っています。これ以上のことを望めるでしょうか。私が巻き込まれた事件は、老齢に伴うやっかいごとから解放してくれるものとなるでしょう。私は、能力全開のまま死ぬのです。

何度読んでも圧倒されてしまう。しかし、「これ以上のことを望めるでしょうか」とは言っているが、「能力を出し切って」ではなく「能力全開」の状態で理不尽なかたちで命を断たれることはさぞかし無念であったろう。その才能が人並外れているだけになおさらであろう。






金子さんの場合にはどうだったのだろうか。30代半ばの最も脂ののった時期に事件に巻き込まれ、ようやく無罪が確定して、これからという時期だったのではないかと思うと気の毒でならない。マスコミや警察の発表を鵜呑みにして誤解し続け、間接的にではあるかもしれないけれども金子さんの足を引っ張る側にいたという事実も後味をより苦いものにしている。金子さんに対する償いにはならないけれども、恣意的な力でせっかくの才能がひねりつぶされてしまうことのないような世の中に、せめてそういう世の中になるようにしていきたい。誰もがその能力を存分に発揮できる社会に。選挙はそのためのひとつの手段でもある。




皇后陛下、PCR開発者を撃墜するの巻/『がん遺伝子の発見』読んだ

『がん遺伝子の発見 がん解明の同時代史』という本を読んだ。


この本の中で、美智子皇后PCR開発者のロックなエピソードが紹介されていたのでまずその話から。


PCR法というのは、すごく良く知っている人はすごく良く知っているし、ちょっと知っている人はちょっとだけ知っているし、知らない人は全然知らない技術でしょう。とにかく、ごく微量なサンプルから簡単にじゃんじゃん遺伝子を増やせるという、ネズミ講の遺伝子版みたいな感じで、その筋の人達にとってはウハウハなわけです。


(どういう感じのブログなのか知ってもらいたくて、全然情報量のない段落をひとつ作ってみました↑)


今回読んだ『がん遺伝子の発見 』という本によると、このPCR法は、キャリー・マリスさんという技術者によって開発されたそうです。このマリスさん、1983年のある金曜日の夜、ジェニファーというガールフレンドを乗せて月明かりの夜道をドライブしている時に、PCR法の原理を突然閃いたそうです。車もない、彼女もいない、ましてやPCRなど開発したことがない人にとってみればこれだけでイライラする話ではないでしょうか。それはさておき、このマリスさんは、1992年に日本国際賞を受賞しています。その受賞式後のパーティーで、先ほどのガールフレンドとのドライブのエピソードが紹介されたというのです。さて、そのエピソードを耳にしたのが美智子皇后。皇后陛下はマリスさんに向かって「今日一緒に来られている方がその方ですね」と尋ねたというのです。し、しかし、それに対して生まれながらの正直者のマリスさんは「いや、金の斧でも、銀の斧でもありません」と答えたという。そんなわけない。マリスさんは「いや、今日一緒に来ているのは別の人です」と答えたという。ガーン( ̄◇ ̄;)、凍りつく周囲の人々(←周囲の人たちが凍り付いたかどうかは私の勝手な想像です)。ところが、皇后陛下はまったく怯まずに(←怯まなかったというのは私の勝手な想像です)すかさずこう言ったという。

それではもう一つ大発見が出来ますね

美智子皇后、ノリノリでござるなニンニン。


さて、こんなエピソードから始めてしまったので、『がん遺伝子の発見 がん解明の同時代史』という本は、皇后陛下のロックンロールな気質を描いたものと思われたかもしれないが、それはまったくの誤解だ。それだと皇室アルバム案件になってしまう。この本は、こうしたおもしろエピソードも交えながら、がん遺伝子の発見レースを描き出すかたちで、がんとは一体何者なのかを遺伝子レベルで平易に解説してくれているものだ。


個人的には、親を癌でなくしているし、大学の一般教養の生物でがんについての授業も受けた記憶はあるのだが、恥ずかしながら、とにかくガンといえばなんかもうガガガガガーッと増えまくって、なんかもうワワワワーッて言ってる間に身体が無茶苦茶になるっていうイメージしか残っていなかった。この本を読んでみて、ヘーっと感心することが山ほどあった。大学の授業の前にこの本を読んでおけばよかったとも思った。とにかく解説がことごとく分かりやすいし、とにかく内容が面白い。


まず、物語はニワトリのがんの話から始まる。あのろくでなしで有名な野口英世もいたロックフェラー研究所にフランシス・ペイトン・ラウスさんという研究者がいた。彼はニワトリのがん組織をすりつぶした液を正常のニワトリに注射すると、そこからがんが発生することを明らかにした。しかも、すりつぶした液を素焼きの瀬戸物でろ過してもがんが発生するので、素焼きの瀬戸物をすり抜ける極小サイズのなんらかの物体が、がん発生に関与していることを示唆したわけである。結局、これがラウス肉腫ウイルスであることが後に明らかになるのだが、ラウスさんの実験が行われたのは1911年のこと。ウイルスが生きものなのか、単なる分子なのかも分かっていないし、遺伝子の正体も分かっていない時代である。よってこの重要な研究も当時は大きな注目を浴びなかったという。


ところで、このラウス肉腫ウイルスは、遺伝情報としてDNAではなくRNAを持つRNA型ウイルスであることが後に明らかになるのだが、1960年代になるとDNA型のがんウイルスというのも次々と発見されるようになる。そして、がんウイルスの研究ではDNAウイルスが脚光をあびる優になる、じゃなくて脚光を浴びるようになる。なぜなら、当時は遺伝情報はDNA→RNA→タンパクという方向に流れるというセントラル・ドグマがウェイウェイと幅をきかせている時代である。DNA型のがんウイルスが細胞のDNAに潜り込んでがんを発生させるというのは、セントラル・ドグマ的には極めて理解しやすい。ドグマドグマワッハッハというようなイメージだ。一方、RNAウイルスの場合、それが一体どうやって細胞DNAに潜り込んだりするんだい、など難しく考え出すと結局全てが嫌になってそっとそっと逃げ出したくなるMr.Childrenのような状態になって敬遠されてしまっていた。ところがここで少数の変態たちがセントラル・ドグマに背くという暴挙に出たことでRNA型ウイルスがにわかに脚光をあびる優になる。これがあの逆転写酵素の発見につながるのだ。リバース・トランスクリプテースだ。なんとなくカッコいい。これが1970年のこと。本書ではこうした発見をもたらした研究の結果だけではなく、当時の研究者の試行錯誤なども分かりやすく解説してあって面白い。


ちなみに、個人的な話で恐縮だが、私は「リバース」という言葉で衝撃を受けたのは人生で三回しかない。ひとつはプロレス技のリバース・スープレックスで、「私はパイルドライバーを見たかったのに・・・」と残念に思った記憶がある。もう一つがこの逆転写酵素。そして三つめは、嘔吐することをリバースと表現する風習がわが国にあることを知ったときだ。



閑話休題。この逆転写酵素発見にまつわる研究者間の激しい競争についても生々しく語られていてそこも非常に興味深い(著者の黒木先生はこの1970年当時テミンのラボのひとつ上のフロアで研究をしていたという)。例えば、この逆転写酵素発見の論文は、二つの研究グループ(テミンさんとボルチモアさん)による独立の研究としてネイチャー誌の同じ号に掲載されているのだが、ボルチモアの研究グループの論文が出るという情報を得たテミンは急いで論文をまとめて投稿し、テミンの同僚がネイチャーの編集部に電話をして、ふたつのグループの論文を同時に載せるように働きかけたというのだ。一流の研究者サークルでは、ピザーラに注文するような感覚でネイチャーに電話をすると知って感銘を受けた。


こうした研究の積み重ねがあり、いよいよがん遺伝子の正体が明らかになるのだが、その過程は第二章で描かれる。ラウス肉腫ウイルスからもがんを引き起こすがん遺伝子が分離されサーク(src)と名付けられた。結局ラウス肉腫ウイルスは、逆転写酵素を作る遺伝子と、ウイルス粒子の構造を作る遺伝子2つ、それにがん遺伝子(サーク)の計4つの遺伝子を持つことが明らかになる。


さて、ここまででもう驚きの連続なのだが、なんとこの後、ラウス肉腫ウイルスが持っているサーク遺伝子と同じ配列が、ニワトリの正常の細胞にも存在することが明らかになる。しかも驚き桃の木おさつドキではないが、なんとニワトリだけではなく、ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんなサークと同じ配列を持っていることが明らかになったのだ。ウイルスも持っているし、正常細胞も持っている。これは一体どういうわけか? その答えも本書を読むとわかります。ビックリです。心臓の悪い方は絶対に読まないでください。嘘、読んでも大丈夫。多分。


このサーク遺伝子の発見は当然大きなインパクトをもたらすのだが、その一方で、がんの研究者たちの間には「所詮ニワトリのがんの話でしょ」みたいなやや冷ややかな空気もあったようだ。「カーネル・サンダースにでも教えてやれよプププ」みたいな空気だろうか。いや、そんな空気ではないと思う。つまり、ニワトリでは確かにそうだったけれども、ヒトのがんの場合には、ニワトリのがんとはまったく別のストーリーがあると考えていたというわけだ。ヒトの場合にはがんを作るレトロウイルスが見つかっていなかったこともそうした予測を後押ししていたようだ。しかし、事態はアルビン・トフラーでも予想だにしないような方向にビンビン進展する。アルビンビン・トフラー!といった感じだろうか。このヒトのがん遺伝子の発見をめぐる物語は本書の第二章後半で描かれている。同じがん遺伝子を分離する作業と言っても、ウイルスとヒトではゲノムサイズが桁違いなので、ヒトのゲノムの中からがん遺伝子を分離するのはとてつもなく大変だという。皆さんもはてなハイクのユーザーから特定の人物を探し出す作業と、ツイッターのユーザーから特定の人物を探し出す作業のどちらが大変か想像してみられると良いのではないだろうか。大丈夫、本書ではちゃんとわかりやすい例えが用意されているので心配無用だ。ここで描かれる「がん遺伝子ハンター」間の熾烈な争いもまた極めてドラマチックである。


さて、先ほどから正常細胞にもがん遺伝子が存在するということを言い続けているが、これはどういうことだろうか。これはつまりがん遺伝子というのは普段は人柄というか遺伝子柄も良く、仕事もキチンとこなすちょっと小粋なビジネスパーソンなのだが、お酒が入ると豹変し触るものみな傷つけるギザギザハートの子守唄的な存在というわけだ。どういうわけだ。ここで意味がわからなくても本書の第三章と第四章には、がん遺伝子が普段はどういう役割を果たしていて、それがどう変化すると凶暴ながん細胞としての性質を獲得するようになるかが解説してある。


そして第五章と第六章ではがん抑制遺伝子なるものが登場する。がん遺伝子がアクセルだとすると、この癌抑制遺伝子はブレーキ役ということになる。


そして第七章では、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の黒幕とも言える存在が明らかにされる。とりあえず黒幕はアメリカの軍産複合体でもなければフリーメイソンでもないことはここで明言しておく。


第八章と九章では、ヒトのがんウイルスの遺伝子についてまとめられていて、第十章では今後のがんの治療についての話などが出てくる。

なんだか前半に比べて後半の紹介に熱が入っていない印象を持たれた方もおられるかもしれないが、それはもちろんネタバレを恐れたからであり、ちょっと気合を入れすぎて疲れたからとかそういうネガティブな理由ではないということは強調しておきたい。後半も充分に面白いことを保証します。


出版年をみると1996年となっているので、当然ながら、近年よく耳にする「エピジェネティック男子」とか「メチル化女子」とかそういう話題は含まれていない。しかし、例えば初めて分子生物学の授業を受ける高校生とか大学生、がんについておおよその見取り図を知りたいという私のような一般の人間の「ゼロ時間目のテキスト」としては最高に優れているのではないかと思う。





長くなってしまったが、私がこの本を読んでみて、その解説の巧みさにももちろん魅力を感じたのだが、個人的にもの凄く好きになってしまったのは、著者の黒木先生がちょいちょい挿んでくる独特の無駄過ぎるつぶやきに撃ち抜かれてしまったためでもある。最後にそのニヤニヤ系をいくつかご紹介して終わろうと思う。


対立遺伝子を説明するところ(p. 112)

酵母よりも高等な生物はすべて遺伝子をペアでもっている。(中略)このペアを対立遺伝子というが、別に父親と母親が対立しているからではない。

分かっとるわ!


モニカさんというとある研究者を紹介するくだり(p. 135)

モニカは名前(Monica Hollstein)から想像できないような、ほっとりとした清楚な美人である。

ホルスタインだけに。知らんがな。


ミスマッチ修復遺伝子の変異について語るくだり

DNAを複製している最中、GとC、AとT、というマッチングにミスが起こったとしよう。そのようなミスマッチを放置しておくと(中略)点突然変異の原因となる。それががん遺伝子、がん抑制遺伝子に起これば、がんにつながりかねない。ミスマッチのまま結婚してしまっても修復できないわけではないが、面倒くさくなり、妥協してしまう。根本的に直そうとすると、さらに大きな痛手を被ることもある。ミスマッチは早めに取り除かねばならない点では何事も同じである。

家庭では妥協されているようだ。