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今年も読めなかったけど来年こそは読みたい本10選

今年はあまり読書の時間を確保できませんでした。来年はなんとか時間を確保していきたいものです。みなさまも良い本と良いお年を。


1



2

子どもの教育 (シュタイナーコレクション)
ルドルフ シュタイナー
筑摩書房
売り上げランキング: 31,080



3

人さまざま (岩波文庫 青 609-1)
テオプラストス
岩波書店
売り上げランキング: 33,457



4

書くことについて (小学館文庫)
スティーヴン キング
小学館 (2013-07-05)
売り上げランキング: 5,901



5

1つぶのおこめ―さんすうのむかしばなし
デミ
光村教育図書
売り上げランキング: 26,547



6

文庫 自動車と私 カール・ベンツ自伝 (草思社文庫)
カール ベンツ
草思社
売り上げランキング: 140,695



7


8


9


10

ヒトは食べられて進化した
ドナ・ハート ロバート W.サスマン
化学同人
売り上げランキング: 210,325

『習得への情熱―チェスから武術へ―』を読んだ


原題は『Art of learning』。著者はジョッシュ・ウェイツキン。チェスの神童と呼ばれ、彼の父が息子を題材にして執筆した『ボビー・フィッシャーを探して』は映画化もされている。また、長じて太極拳の世界選手権覇者となったという変態的な人らしい。そんな人が「まなびの術」を語った本。

インスピレーションを得るための公式や型紙は存在しない。だけど、それを得る自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセスならある。


と語られているように、「中学英語を3時間学ぶだけで猿でもわかるチェスのすべて」とかいう類のマニュアル本というのとは違います。むちゃむちゃ努力しているのが分かります。だけど努力をする際の意識付けなどによって上達の速さや到達点は自ずと変わってくるし、その意識付けの方法論にはこれこれこういうのがありますよというような内容でした。ざっくり言うと。だから読む人が何を求めるかによって合う合わないはあるでしょう。ただまあ自伝的要素が強いのでそれだけでも面白いのは面白いです。


一番印象に残ったのは以下の文章でした。

それはもはや数え切れない時間だけれど、そうやって毎回その日の勉強を終えるたびに、疲労困憊しながらも、自分の限界の外側にあるチェスの可能性について、ほんの少しだけ、ほんの微かではあるものの、理解できたのではないかという希望で心が満たされるから不思議だ。

ボビー・フィッシャーを探して
フレッド・ウェイツキン
みすず書房
売り上げランキング: 434,844

『教養としての認知科学』を読んだ

『教養としての認知科学』を読んだ。


教養としての認知科学
鈴木 宏昭
東京大学出版会
売り上げランキング: 44,168


今晩の鳥貴族ですぐに役立つオモシロ知識満載だった。

さらに衝撃的な話もある。ヨハンソンたちが行った実験では、参加者に二人の女性の顔写真を見せ、どちらが好きかを選んでもらい、その写真を直後に再度提示してその理由を尋ねる。ただ、時々手品を用いて、選んでいないもう一方の女性の写真を見せて、それを選んだ(?)理由を尋ねる。ところが、この入れ替えの手品に気づく人はたったの一三パーセントでしかないという。


もちろん単なるオモシロ知識が羅列されているわけではなく、認知科学の基礎となるトピックが分かりやすくまとめられている。鳥貴族では役に立たないかもしれないが、とにかくフンフンへーとうならされる事例がたくさんでてくるのだ。例えば「4枚カード問題」というのが紹介されていて、人間の推論の様式が、提示された問題の文脈に応じて変化することが、単純な実験で炙り出される様が示されている。


ちょっと詳しく感想書く時間ないですけどこれはいい本でした。面白いです。鳥貴族行ってきます。

『青い鳥』(重松清)を読んだ

読書

重松清さんの短編集『青い鳥』を読んだ。


青い鳥 (新潮文庫)
青い鳥 (新潮文庫)
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重松 清
新潮社
売り上げランキング: 6,220


この短編集の主人公「村内先生」は作中で生徒に次のように語りかける。

 なあ、篠沢さん、うまくしゃべれないっていうのは。つらいんだ。自分の思いが。伝えられないっていうのは、ひとりぼっちになるって。ことなんだ。言葉が。つっかえなくても。自分の思いが。伝えられなくて、わかってもらえなくて。誰とも。つながっていないと思う。子は、ひとりぼっちなんだよ、やっぱり。
 でもなあ、ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないんじゃないか、って先生は思うんだよなあ。
 先生は、ひとりぼっちの。子の。そばにいる、もう一人の、ひとりぼっちになりたいんだ。だから、先生は、先生をやっているんだ。


「文庫版のためのあとがき」で著者の重松清さんは次のように語っている。

 しゃべろうとすると言葉がつっかえてしまうひとを主人公に据えたお話は、『きよしこ』につづいて、これが二作目である。なぜ繰り返し書くのかと問われれば、僕も吃音だから、としか答えられない。

『きよしこ』を読んだ

久しぶりに『きよしこ』を読んだ。吃音の少年の物語だ。



きよしこ (新潮文庫)
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重松 清
新潮社
売り上げランキング: 3,625



 うつむいて、ぼそぼそとした声で話せばいい。ひとの顔をまっすぐに見て話すなんて死ぬほど難しいことだと、ぼくは知っているから。
 ゆっくりと話してくれればいい。君の話す最初の言葉がどんなにつっかえても、ぼくはそれを、ぼくの心の扉を叩くノックの音だと思って、君のお話が始まるのをじっと待つことにするから。
 君が話したい相手の心の扉は、ときどき閉まっているかもしれない。
 でも、鍵は掛かっていない。鍵を掛けられた心なんて、どこにもない。ぼくはきよしこからそう教わって、いまも、そう信じている。


吃音についてはこんな記事を紹介していた→「吃音を取り巻く現状についての解説記事 Listen to the lessons of The King's Speech」
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『明治百年 もうひとつの1968』を読んだ

読書 社会

明治百年―もうひとつの1968
小野 俊太郎
青草書房
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1968年。明治維新から100年目。フランスの五月革命に代表される若者の叛乱が各国で起きていた。日本でも大学闘争が拡大し、東大では安田講堂などが学生等によってバリケード封鎖され、東大の卒業式は中止に追い込まれる。また、この年10月の国際反戦デーでは「東京の新宿駅に一万五千人以上の学生が集まり、その一部が駅を占拠して解放区としたせいで、二十二日の深夜0時過ぎに騒乱罪が適用」され、743人が逮捕されるに至った。いわゆる「新宿騒乱」である。こうした「事件」に代表されるように、60年代後半と言えば「政治闘争」の時代として記憶されている。


しかし、と著者は訴える。

あたり前だが、日本全国がどこでも均一な政治意識をもっているわけではない。(中略)エリート主義的な臭いの抜けない大学闘争の観点からでは、どうしても見方が偏ってしまう。では、それ以外の多くの場所では平凡な日常生活が繰り返されていたにすぎないのだろうか。国民は「情報弱者」の群れであったり、「一億総白痴」(大宅壮一)だったのかーいや、そうではあるまい。人々は、変化をもっと身近な出来事から感じていたのだ。


さらに著者が1968年に注目する理由はこれだけではない。少年マガジン誌で『あしたのジョー』の連載が始まり、『巨人の星』のアニメ版放映が始まり、3億円事件が起きた1968年に「今の状況とつながる重要なシステムの書き換えや新しい出来事が起きて」いたというのだ。それは霞が関ビルのオープンであり、自動券売機の配備であり、ポケベルの利用開始であり、郵便番号の導入であった。また、原子力発電の商業利用が承認されたのも1968年だという。それゆえ1968年における「社会の動きを作りだした背景を探」ることで、「過去を振り返って進むうえでの分岐点が間違っていたり、誤りを正せる瞬間を見つけることができるのならば、現在からでも過去の誤謬を修正できるかもしれない」と著者は本書のあとがきで述べている。


本書で様々な事件、事象が並べられ、順にそれを眺めていくことで、この年に何が起きていたのかを知識としてつかむことはできた。またそうした事象多様性から、当時の人々の意識の多様性が朧気ながらつかめるような部分もあった。しかしその一方で、私自身は1968年にはまだ誕生していないということもあり、肌感覚としてこの時代が理解できるわけではないな、などと思ったのだが、実はよくよく考えてみると、周囲の人々が何を考えているのかということは現在という同時代のことですら分かってないわということに気付いてショックを受けた。もっと言えば、他者の理解ができないということだけでなく、私自身が現在起きている様々な事象ーそれは安保法制や原発などの政治問題であったり、子育てや介護などの社会問題であったりと様々なのだがーに対してどういう態度をとるべきなのか決めかねている、というか決めかねているうちに事が進行するままに任せるという態度が常態化していることに気付いて戸惑ったり狼狽えたりしてしまった。

意識の高い人ならサラダは便座でつくりましょう

『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』を読んだ。むちゃくちゃ面白かった。

かぜの科学―もっとも身近な病の生態
ジェニファー アッカーマン
早川書房
売り上げランキング: 442,479


著者のジェニファー・アッカーマンはアメリカのサイエンス・ライター。このブログでも以前紹介した『からだの一日』も彼女の作品だ。
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『からだの一日』は、「私自身の関心事と、読者の方々にも興味深いであろうと思われる話題に絞った。キスや抱擁からオーガニズム、マルチタスキングから記憶、トレーニングからストレス、午後の眠りから夜寝ているあいだに見る夢までを収めてある」と著者が述べる通り、人間の身体に関係するあらゆることの中から面白そうな話題をピックアップしているので、面白くて当たり前と言えるかもしれない。一方、『かぜの科学』のテーマは「風邪」だけ。風邪だけで本一冊必要かねとオラ正直思ってたんだが、これが面白い。「風邪」についての最新の知見(出版当時の)だけでなく、風邪研究の歴史やそれにまつわるトリヴィア満載で、研究者の苦闘もユーモラスなタッチで描かれている。またヴァージニア大学が行ったウイルス撃退用の鼻スプレーの薬効試験でアッカーマン自身が被験者になるというダチョウ倶楽部ばりの体当たり取材も敢行されていて、被験者たちがホテルに三日間缶詰にされたときの様子も描かれている。鼻スプレー開発版テラスハウスのような趣だろうか。どんな趣じゃい!


さて、一口に風邪の研究と言っても様々な切り口があるわけですが、その中でももっとも重要な分野の1つに、ウイルスや細菌などの病原体が、環境中のどういった場所に多く存在しているかに注目したものがあります。本書でもこの分野の研究がたくさん紹介されていて、いずれも非常に興味深いのですが、その中のアリゾナ大学の環境微生物学者チャールズ・ガーバの研究がとても面白かったのでさわりだけつまみ食いしてみたいと思います。ガーバらはアリゾナの一般家庭の台所とトイレでの細菌数(大腸菌など)を調べています。ここでは本書第2章の該当部分を引用しますが、これがなかなかの破壊力です。

一五ヵ所の家庭で黴菌の有無を調べると、ガーバは家の中でいちばんきれいな場所ー少なくとも細菌に関してだがーが便座で、いちばん汚い場所が台所のスポンジや排水口であることを見出した。「まな板はとても不潔です」と彼は述べる。「まな板には便座の二〇〇倍もの糞便性大腸菌[細菌]がいます。こうしたデータを見ると、家庭でサラダをつくるのにいちばん安全な場所は便座の上ということになりそうです」


細菌の分布に関するリテラシーが高まると、人気のレストランのメニューには「このサラダは、その調理過程においてまな板は一切使用されず、すべて便座の上で作られています」という但し書きが添えられるようになるだろう。科学万歳。わたしはこの本を読んだ直後から、台所で調理をするのを一切やめて、調理はすべてトイレで行い、排尿排便は台所で行うような生活様式に変えた。それ以来すべてが快適だ。ただし良い子は真似しないように。ちなみに、このガーバさんの研究はネットで公開されているので、興味のある方はそちらで確認できます→Rusin, Orosz-Coughlin, and Gerba (1998) Reduction of faecal coliform, coliform and heterotrophic plate count bacteria in the household kitchen and bathroom by disinfection with hypochlorite cleaners. J. Applied Microbiology 85, pp. 819–828.


上記の研究は、細菌を扱ったものなので、ウイルスによって引き起こされる風邪とは直接の関係はないわけですが、こうした地道な研究の積み重ねによって風邪ウイルスがどこに潜み、どのように伝播しているのかが明らかになっています。そうした研究史の中には、あのガイア仮説で有名なラブロックの研究も含まれているということでした。第二次世界大戦中に防空壕の混雑が伝染病の発生につながりかねないという懸念が生じ、イギリスの風邪研究機関は呼吸器系疾患の伝播経路を解明しようと試みたという。そこで、この研究に協力するように要請されたのがラブロックであったというのだ。風邪の伝播経路としてすぐに思いつくのはくしゃみや咳などによる、空気感染ないし飛沫感染ではないかと思うのですが(マスク!マスク!)、ラブロックはそれを疑う立場だった。つまり、風邪は主に、感染者から、感染者の触れる衣服、食物、トランプ、机、照明のスイッチなどを経由して別の人に伝播すると信じていた。ラブロックがその仮説を「証明」するために用いた方法がまた非常にユーモラスなもので、思わず笑ってしまった。興味のある方はこの部分も是非読んでみて欲しい。


どの伝播経路が重要であるかは、病原体の種類によってもちろん異なるわけですが、例えば風邪ウイルスの代表格であるライノウイルスについて言えば、ラブロックの仮説は正しかったと言えるようです。ライノウイルスは感染者が触れた机などの無生物表面で想像以上に長く生きながらえることができるという。そしてその汚染された机やスイッチを、元気で暢気な人が不用意に触り、その汚染された手を不用意に自らの眼や鼻に持ってくることでウイルスは新たな増殖場所を確保する。詳細は本書で確認して欲しいが、本書のメッセージの中で最も重要なもののひとつは、手は綺麗とは限らない、いやむしろ汚い、というかものすごく汚い、想像以上に汚い、ということだろう。


だが、手が汚くたって、風邪は手から体内に侵入するわけじゃないだろうと思われるかもしれない。その通り。あなたのその汚い手を眼や鼻にこすりつけなければ感染の確率は小さくなるだろう。しかし、本書のメッセージをもうひとつ挙げよと言われたならば、「ヒトは手で鼻や眼をいじってしまう動物だ」という教えではないだろうか。本書ではヒトがいかに頻繁に手で鼻や眼や口をいじるかという研究も紹介されている。被験者をじっと観察して何回鼻をほじったかなどをカウントしていくわけだ。世界中の研究者が各国人民の鼻ほじり状況を詳細に調べているのを知って体が震えるほど感動してしまった。対象となっているのは、ロンドンの地下鉄利用者、ヴァージニアの日曜学校に集う子どもたち、カルフォルニア大学の公共健康学部の学生、インド都市部の学生、内科医(!)などだ。日曜学校の子どもたちと医療関係者とで、どちらが鼻をほじるだろうか? あまりにおそろしくて、ここで結果を紹介する勇気はわたしにはない。ホイジンガは人間の本質を遊びの中に見出し、人間を「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」と規定したが、もしホイジンガが環境微生物学者であったならば、人間を「鼻をほじるヒト」と規定していたことだろう。


本書ではこれ以外にも、感染防止策についての具体的提言もある。また、数多くの風邪の治療についての評価も行っている。市販されているいわゆる総合感冒薬などは軒並みバッサバッサとぶった斬られているので、製薬会社の営業の人などが読むと頭痛がするかもしれないが、風邪というコモンな疾患なだけに、医療関係者でなくとも最低限の正確な知識を持っておくのは大事なことであろう。まあなにより面白い。


文庫版も出ている

かぜの科学:もっとも身近な病の生態 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ジェニファー・アッカーマン
早川書房
売り上げランキング: 157,624